陶芸用語 索引−「お,オ」

追焚き
オイダキ
責め焚き。焼成のプロセスの末期に燃料(薪)を連続投入して酸素の補充を断ち、還元炎を発生させる窯焚法。
横炎式窯
オウエンシキガマ
炎・ガスが水平に進んで器物を焼成する方式の窯。窖窯や鉄砲窯。
大井戸
オオイド
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高麗茶碗の一種。井戸茶碗の深手のもの。浅手のものは小井戸という。
大窯
オオガマ
窖窯の次の時代に築かれた窯。窖窯をそのまま地上もしくは半地上式に築いたもので室町時代から江戸時代に多く築窯された。大窯の大は大きさを意味するものではなく、本窯あるいは元窯という語義での本または元という意味。
大樋焼
オオヒヤキ
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石川県金沢市で作られる楽焼。江戸時代、加賀藩主5代前田綱紀が裏千家四世仙叟(せんそう)宗室を茶道奉行として招き、その際に茶碗師として同道した陶工・初代長左衛門が金沢郊外の大樋町で抹茶器を制作したことに始まる。飴釉を使い、渋い茶褐色の光沢ある器肌が特徴。
大堀相馬焼
オオボリソウマヤキ
repo
福島県浪江町大堀地区で焼成される大堀焼。相馬焼。釉の表面がざらざらした鮫肌焼の鮫肌土瓶や青罅(あおひび)焼で知られた。福島県相馬市中村の相馬駒焼も相馬焼というが両者は別である。
大名物
オオメイブツ
茶道具では優れた名品を名物というが、そのうち、利休時代及びそれ以前の東山時代ものを指す。東山御物をはじめ村田珠光から、武野紹鴎に至る茶匠の好みによる茶器。
オールド・ジャパン
オールド・ジャパン
古伊万里一般の西洋人の呼び名。
尾形乾山
オガタケンザン
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1663〜1743(寛文3〜寛保3)江戸中期、京都の陶工。仁清に師事、陶法を学んだ。元禄12年(37歳)鳴滝泉谷に築窯。この窯が京都の乾(北西)に当たるので乾山を窯名とし、みずからも乾山と号し、陶磁器を焼いた。得意としたのは白化粧に鉄絵や染付を使って表現する装飾画風のもので、色絵にも新意匠を生み出し、朝鮮、中国、オランダの渡米陶器を模写する研究心も旺盛で、磁器も京都では初めて焼いている。仁清、木米、乾山を我が国の三大陶工と呼ぶひともある。
奥田頴川
オクダエイセン
1753〜1811(宝歴3〜文化8)江戸後期の京都の陶工。先祖は帰化中国人といわれる。代々質屋を営む京都五条坂の丸屋の養子となり家業を継ぐ傍ら、趣味に陶芸を学び、30歳ごろ建仁寺内に開窯、好んで中国陶磁を模倣作陶した。天明年間(1781〜89)、京焼最初といわれる磁器焼成に成功。ために京焼の磁祖ともいわれる。
御茶碗窯
オチャワンガマ
茶碗窯。唐津藩の御用窯。元禄14年(1701)、唐津藩窯(御茶碗窯)が築かれ、宝永4年(1707)、中里家4代太郎右衛門らは藩命により唐津坊主町に御茶碗窯を築き、藩の御用品を焼き、さらに享保19年(1734)、中里家5代喜平次らは再び藩命により窯を唐人町に移した。この窯は廃藩後、中里家により運営され、大正期まで使用され、今日も中里太郎右衛門邸内に名残を留める。
追覆せ
オッカブセ
器物全体、高台の内部にまで釉薬を施したもの。これに対し、高台のあたりに釉のかかっていない素地肌の露出している器物を土見せという。
鬼板
オニイタ
尾張・瀬戸地方の第三紀層で多量に産出する褐鉄鉱。赤く板状で鬼瓦に似ており、良質のものは玉状になっていて玉赤絵と呼ぶ。釉薬や絵志野の顔料として使われる。
お庭焼
オニワヤキ
江戸時代、諸藩の御用窯とは別に、好事家や数奇者茶人の藩主、城主、権臣らが城内や邸内に窯を築き茶器などを焼かせたり藩公自ら手捻りを楽しんだりした。紀州西浜御殿の偕楽園焼、尾張名古屋城内御深井焼、水戸藩江戸屋敷後楽園焼、備前岡山の後楽園焼などがある。
御深井焼
オフケヤキ
尾張徳川家の御用窯。元和2年(1616)藩祖徳川義直が窯業保護政策のため、名古屋城外郭の御深井丸に美濃や瀬戸の優れた陶工、仁兵衛、唐三郎、太兵衛らを招き築いた窯、またはそこで焼成したやきもの。明治初年廃藩とともに廃絶。
紅毛・和蘭陀
オランダ
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紅毛焼(こうもうやき)ともいう。江戸時代にオランダ船によりもたらされた陶磁器。オランダのデルフト、イギリスのウエッジヴッド、イタリアのマジョリカ等。
織部黒
オリベクロ
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黒織部。織部焼の一種で沓形茶碗が多い。全体が黒の外観は鉄釉によるもので、焼成中、鉄鉤や鉄鋏で窯外に引き出し急冷することによって釉面に微細な罅(ひび)を生じ艶消し効果で軟調の黒色を呈する、いわゆる引出黒の一種である。黒釉を一部分施釉せず窓抜きにして、鉄絵や象嵌の絵模様を描いたものが多いが、掻落し文様を施したもの、黒釉の一部に透明釉を二重に掛けたものなどがある。
織部焼
オリベヤキ
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安土・桃山期から江戸初期にかけ、千利休の高弟の茶人で大名でもあった古田織部正重然の好みを導入して岐阜県東部の美濃窯で焼かれた個性と創造性豊かなやきもの。織部の器物の形状は一般的に歪んで多角形のものも多く当時としては異様、異端でありエキセントリックかつ奇抜であった。自由奔放な不整形が基本なので、成形には型が多く用いられ、色彩は黒、濃緑、赤などが好んで多用され、色釉も染分けなどのテクニックを使った。今日、織部といわれるものは茶道具が主で茶碗、茶入、水差し、香合、鉢、皿、向付、徳利、盃などの種類がある。総織部、織部黒、青織部、赤織部、絵織部、鳴海織部、志野織部などに分類される。
おろ
オロ
やぶくま参照。
小鹿田焼
オンタヤキ
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小鹿田焼の開窯は江戸時代中期。筑前の国小石原焼の陶工・柳瀬三右衛門と日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。これに小鹿田地域の仙頭であった坂本家が土地の提供者となり、基礎が築かれる。
主な技法は、飛びかんな・打ち刷毛目・櫛描きなどで、10軒の窯元が技術保全と継承に努める。弟子は外から入れることなく、家族での手作業に徹し、材料等も全て地元で調達。釉がけは主に生掛、酸化焼成を行う。原料を打つ唐臼の響きが「残したい日本の音風景百選」に選ばれている。また、平成7年には、国の重要無形文化財保持団体の指定を受けている。

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