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人間国宝
白釉黒流描大鉢(しろぐすりくろながしがきおおばち)
昭和42年(1967年) 川崎市市民ミュージアム蔵

濱田庄司
〜60年が凝縮された15秒〜

Shoji Hamada  1894-1978
 
 民藝陶器の人間国宝、濱田庄司は栃木県益子を拠点に独自の作風を確立とともに、民藝運動の中心人物として第一線で活躍した作家です。
 この益子焼の陶祖ともいうべき濱田庄司の初期作品から晩年まで約170点の作品を紹介する「濱田庄司展」が東日本初の陶芸専門の県立美術館である茨城県陶芸美術館において開催されます。



■工芸作家―濱田庄司 

 濱田庄司は現在の神奈川県川崎市に生まれました。19歳で東京高等工業学校窯業科に入学し、そこで板谷波山に学びます。卒業後、先輩の河井寛次郎とともに京都の陶磁器試験場に入り、釉薬の研究に4年ほど携わりました。大正9年(1920)、26歳の時にイギリスの陶芸家バーナード・リーチとともにイギリスのセント・アイヴスに渡り、工芸作家としての活動を開始しました。
 1924年に帰国した後、栃木県益子に拠点を移した濱田は、沖縄の古窯「壺屋」で伝統的な技法やかたちを学び、「黍文(きびもん)」や「赤絵」など、濱田の独特な表現を身に付けました。また、民藝運動の中心人物として各地の窯を調査し、その成果を自らの制作に活かすなど、第一線で活躍した作家です。




■益子の地位確立に尽力 

 大正12年(1923)、関東大震災が東京を襲い衰退しかかっていた陶産地・益子は、震災のもたらした好景気により、息を吹き返します。そしてその翌年、濱田庄司が益子に工房を構えて制作をはじめたのです。益子焼の名は、濱田庄司の名声とともにますます広く浸透していきました。ついに昭和30年(1955)、その業績が評価され、濱田が「民芸陶器」の分野で人間国宝に認定されるのに呼応し、益子焼の名は世の中に轟くようになり、陶産地として、今日あるような地位と大衆的な人気を確立したのです。

 濱田は益子の町の風土に接して、イギリスのセントアイブスと同様な、素朴で、健康的な暮らしができそうだと感じました。やきもの作りをするうえでは、決して優れた素材とはいえないかも知れない益子産の土を使って、それでもなお大らかな、健やかな生命感にあふれた器が作れそうだと彼は考え、それを実践して見事に大成させたのです。

ガレナ釉蓋壺(がれなゆうふたつぼ)
大正11年(1922年) 益子参考館蔵




濱田庄司
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60年が凝縮された15秒

会期2010年1月23日(土)〜3月22日(月・祝)
開館時間9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日月曜日(ただし3月22日は開館)
会場茨城県陶芸美術館 地階企画展示室
住所茨城県笠間市笠間2345


観覧料一般700円、高大生500円、小中生250円
※満70歳以上の方、障害者手帳・療育手帳をお持ちの方及び付添いの方(1人につき1人まで)無料
TEL0296-70-0011
URLwww.tougei.museum.ibk.ed.jp/

 本展覧会は、絵描き志望であった学生時代に投稿した雑誌の挿絵やイギリスのセント・アイヴス時代に制作された初期作品から晩年の作品までの約170点の資料をもとに、濱田庄司の生涯にわたる作品を通覧できる展覧会です。濱田庄司の足跡をたどり、陶芸家として全貌を紹介します。





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