全国旅手帖渋草焼(歴史・特徴)

渋草焼写真 渋草焼タイトル

 渋草焼は、飛騨高山のやきものです。その名は「渋草ヶ丘」という地名に由来するといわれます。はじめて窯場が築かれた江戸の頃、この丘一帯は淡紫色の花をつける渋草(=いかり草)の自生地だったのだそうです。渋草焼はそんな美しい逸話にも似て、愛らしさの中にも華のある、染付や色絵のやきものです。そしてたった2軒の窯元によって焼き続けられてきた産地なのに、磁器と陶器という趣の違う2種類の色絵に出会えるのも、渋草焼の大きな魅力となっています。
 創業は1841年(天保12)のこと。江戸幕府の天領時代、ときの郡代・豊田藤之進が地場産業の一環として企画。尾張瀬戸から陶工・戸田柳造を招いて、飛騨国渋草(現在の高山市上岡本)に窯を開かせたのが始まりです。郡代の保護のもと、やがて苦心の末に、念願の磁器焼成に成功します。数年後には、加賀から曽我徳丸をはじめ数名の絵付師を呼び寄せ、九谷風の絵を施すようになったのです。当時焼かれていたのは、五彩、南京赤絵、古染付の写しなど。幕末には名絵付師の活躍もあり、「飛騨九谷」「飛騨赤絵」と呼ばれるまでになりました。もっと詳しく

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