インターネット版 No.82  全3ページ 1 | 2| 3

1 ・茶とやきもの 51 ・・・ 「茶人の注文から生まれた和物花入」
2 ・「陶房 九炉土」陶芸クラブ 30th C ・・・ 第1回九炉土展(昭和56年)
3 ・HOTLINE ・・・ 第41回「女流陶芸公募展」が京都市美術館で開催


1/3ページ


−−茶の湯で使われていた花入は、最初の頃は、ほとんどが唐物だったというお話でした。
 なんだか不思議な感じもするのですが、日本国内の各窯場では、花入として使えるものが、元来、作られていなかったのでしょうか?

安藤●和物の花入といえば、古いものでは壺を見立てたものがほとんどで、茶道草創期には和物の陶器はまだ茶の湯には取りあげられていません。
 つまり、花入として作られたものはなかった、ということなんです。

−−そうなんですか・・・。 庶民の日常の生活のなかでは、花を飾って楽しむ習慣などは考えられなかった時代なんですね・・・。

安藤●南蛮の壺などと同じように、日本で作られた雑器には、いわゆる “花入” に見立てられるものはないと思いますよ。 ということは、逆に考えてみますと、日本の実用的な雑器のなかには、花入に使えそうなものは、探そうとしても見当たらない、といえば分かりやすいかも知れません。
 種壺だったら水指には使えても、花入として取りあげるのはかなり難しい。 ほかに生活雑器から転用できそうなものは、ちょっと思いつきません。 結局、実際に花入として使えそうなものは、なかなか見つからないのではないでしょうか。

−−はい、確かにそうですね。 そういえば、日本のやきものは、茶の湯に牽引されて発達してきたことを思い出しました。

安藤●備前にしても、花入として取りあげられる頃には、すでに茶人には見識が備わっていたわけです。 ですから備前の窯に注文を出して、茶の湯で使う花入として適うものを作らせたと考えるのが自然でしょう。
 それにまだ茶道草創期では、磁器の焼成が行われていなくて、しかも陶器でも高取などの窯場は開窯しておらず、いわゆる古窯しかありませんでした。
 歴史的にいえば、その頃はまだ、侘茶がはじまったばかりの頃で、花入に関してももちろん、まだ茶道具全般に唐物への尊重の名残りがあって、輸入品が中心を占めていました。
 和物の花入が登場するのは、後の時代になるまでしばらく待たねばなりません。
(構成・編集部)



1ページ | 2ページ| 3ページ
tougeizanmai.com / バックナンバー