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鍋島を継承しながらの独自性

 14代の話も佳境に入る頃、お茶請けにと、古伊万里の菱形皿にチョコレートを盛って出して下さいました。 この持てなしには、驚きと感激が交錯しました。 こうして本物を実際に使うことで、優れたものを見る鋭さや、もの作りとしての見識を養っているのでしょう。
 暖簾全体に目を配り、300年以上続く家を護るのが先代夫人、技術を継承・発展させ、窯を護るのは14代当主。 このふたりの才覚により、伝統の今右衛門家の現在があると思います。
 「13代(父)の作品を見ると、13代を思い出すといわれます。 そんなふうにいわれると、もの作りは幸せだなあとつくづく思います。 磁器作りは職人的な分業仕事ですから、今があるのは先代がきっちりと職人を育ててくれていたお陰ですからね」
 歴史のある窯の重い責任を負いながらも、恩恵にも授かる・・・・。 鍋島の技術や意匠を踏まえつつ、しかし創作家として、その伝統を越えようとするのです。
 
築180年という今右衛門家は、有田で最も古い建物。 重厚な佇まいのなかに品格を感じます。 隅々まで手入れが行き届いているのは、家を護る先代夫人の配慮が行き届いているからでしょう。
 14代に渡って継承されてきた技術、焼成・・・・。 いよいよ工房、そして窯場へと当主自らの案内で歩を進めました。
 工房内にはベテランの職人も多く、キビキビ動いています。 その様子からして、今右衛門さんも職人に敬意を払っているのがよくわかり、チームワークの良さを感じました。 職人をまとめるには、技術と器量が必要だといわれます。 当代には、その両方が備わっているに違いありません。
 「一つひとつの手間を惜しまない仕事の積み重ねが、鍋島の全体としての品格につながっていくと思います。 そういう気持ちを大切にして、これからも私の作品を作っていきたいです」
 実直な創作家らしい、当代の覚悟が感じられました。
 思い出深い今右衛門窯への訪問となりました。
  
窯焚き毎に修繕しながら、40年ほど使っている窯。 本焼焼成は、まず重油で20時間ほど暖め(ねらし)、900度から薪を投入し還元をかけ(攻め)、1170度から あげ焚きとなります。 最終的には1290度〜1330度に到達。 35時間かけて焚きあげ、3日間で冷却。 素焼でも最後に還元をかけて、素地を少し焼締めて丈夫にします。
  
壺を手に、焼成でのポイントを丁寧に説明してくださる14代。
透明釉の入った容器。 施釉は素地が薄くて釉を吸い切れないため、内側と外側を別掛けします。
煎茶器の削り。 蓋の削りでは、型台に置いて締めながらツマミを削り出すので、割れにくくなります。


「李参平」は、
  なにをした人ですか?

A:
 およそ400年ほど前、文禄・慶長の役の折に、鍋島藩の家臣によって日本に連れて来られた李朝陶工のひとりです。 朝鮮・忠清道の出身で、日本名を金ヶ江三兵衛といいます。
 なんといっても李参平の最大の功績は、有田町の泉山に良質の白磁鉱を発見し、1616年、白磁染付の焼成に日本ではじめて成功したと伝えられていることです。 まさに我が国の磁器の原点がここにあります。 このことで李参平は、日本陶磁史にその名を永遠に刻みました。
 現在でも、泉山磁石場では採石が続き、年間数千トンもの磁土を産出しているそうです。

泉山採石場に立つ石碑

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