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−−先回のお話では、時代背景やオランダとの交易が実際に行われていたことを知ったうえで、「和蘭陀」の水指を見ていかなければ、そのものの持つ本質もなかなか見えてこない、ということをお聞きしました。

安藤●茶道具は、やがて見立てから注文品へと代わりはじめます。 すると、豊富に、いろいろな形のものができてくるようになりました。
 陶磁器の水指は、初期は見立てによる輸入品が主流であり、次第に国産の備前、信楽、丹波などの無釉陶が使用されるようになりました。 そういう時代を経るなかで併行して、茶の目に秀でた遠州によって、まず中国などの諸外国へと、染付をはじめとした様々な道具類が注文されるようになっていったのでしょう。

−−見立てから、注文する時代へと茶道具の調達方法も多様化していったのですね。 なんだか、現代の産業や貿易とも似たような構図なんですね・・・・。

安藤●また、遠州から出された注文品は主に、中国へは古染付、朝鮮には御本などでした。 国内はどうかといえば、信楽や備前などの古窯をはじめ、次いで各種の国焼の水指が盛んに使われるようになっていきました。

−−そういえば、信楽や備前の水指には、耳付のものが見られるのですが、あれも注文・・・・かも知れない。

安藤●よく知られているように、茶壺などには、紐で結わえるために耳がつけられています。 備前の種壺なども同様ですね。
 最初は用途に応じた形だったものが、本来の用途を離れ茶の湯の道具として活かされるようになってから、さらに、各時代の指導者の好みなどを反映して、形にも変化が生じるようになっていったのです。 つまり徐々に意識的に考えられ、発想が大きく展開していったのでしょうね。
 水指だけに限ってみても、造形的にも装飾としても、驚くような発想のものが多々あります。 これまでの長い歴史のなかで、実にいろいろなものが試され、それらのなかから茶の湯の精神に合ったものだけが、今日に伝え残されてきたのです。                    
(構成・編集部)





ZOOM-UP <17>
益子焼の巻 (ましこ) 
 栃木県・益子町は、現在、300を越える陶芸家や窯元を抱える東日本最大の産地です。 「MASHIKO」の名は国際的にも有名で、観光客だけでなく、修行のため訪れる外国人もあとを絶たないとか。
 江戸末期に数軒の窯から出発した益子がこれほど発展したのは、「二人のショージ」の存在が大きいといわれます。 今回は、この二人にズーム・アップ!
 一人目は、濱田庄司。柳宗悦らと起こした民芸運動によって知られた巨匠で、「民芸の益子」を決定づけた象徴的存在です。 二人目は、今号の特集でも紹介している加守田章二です。 加守田は、濱田以来民芸一色だった益子に、個性的な創作陶器の新風を巻き起こしました。 この二人を慕い、さらに多くの作家たちが参入したのでした。
 さて、面白いのは、この巨匠たちが二人とも益子の外からやって来た部外者で、仕事を始めた当初は異端視されていたということ・・・・。 こんな逸話があります。 加守田の益子での初窯出しの日、民芸調でないため業者が動かなかったところ、たまたま居合わせた濱田がほめたことで買い手がついたというのです。
 二人のショージの意外な接点。 そんなことを思いながらそぞろ歩く益子は、深みのある、また違った顔を見せてくれそうです。

益子の土から生命感ある陶器が生まれます。
写真協力:益子町観光協会

  
時間がとまったような、歴史ある工房の朝。







超個性の釉薬も、使い方によって新鮮な魅力を発揮します。今回の柔らかな質感は、その好例。 桜桃釉の意外な一面を見た思いです。
47 桜桃釉+志野釉

 桜桃釉は鮮やかな色と照りが特徴の、強烈な印象の釉薬です。 だから、料理との相性を気にする食器には、実は少々使いにくいのですが・・・・。
 どうでしょう!写真の作は、とても柔らかな、しっとりとした仕上がりです。 徐々に薄まっていくピンクのグラデーション、口辺から流れた二筋の釉の後引き、見込みをのぞくとピンクの砂糖菓子のような釉溜まりがあって、一層の抑揚を生んでいます。
 これらは、インパクトの強い桜桃釉に、半失透性の志野釉を組み合わせたことによる見事な効果です。 方法は、まず桜桃釉を浸し掛けし、その後志野釉をやはり浸し掛けるというシンプルなもの。 ただし、志野釉の濃度はあまり濃くせず、均一に掛かるようにします。 これで桜桃釉の強いツヤを全体に抑えるのがポイントです。
 主張の強い釉をうまく使いこなし、形の愛らしさにマッチさせた、高い表現力の作品ですね。


作品:中村委公子 高8.0 径8.0cm






(29)  カフェオレボウル&ソーサー
ミルクたっぷりのカフェオレ。優しい色に、器のシックな模様と色がマッチした今回の作。フランスでは家族一人一人がもっている伝統の器だそうです。それにしても、なぜ、ボウル? 

 カフェオレといえばクロワッサン。
「おしゃれなフランス」の代名詞のような朝の風景です。 ところが、現実のフランスでは、忙しい朝に焼きたてのクロワッサンを買いに走るほど、そうそう優雅ではないのだとか・・・・。
 朝食としてポピュラーなのは、トーストしたパンや、カリカリに焼いて売られているビスコットというパンに、バターやジャムをぬって食べるというもの。 なるほど、映画のようにはいかないものです。 でも、カフェオレだけは、確かに朝食の定番でした。
 器にコーヒーとミルクをたっぷり注いで、さっきのパンを浸しながら食べるといいます。

作品:山本玲子
    ボウル 高7.5cm、 径10.5cm
    ソーサー 径 16.0cm
 コーヒーカップとは別にカフェオレ用の器があり、どんぶりのような形をしているのは、こんな食べ方のせいもあるかもしれませんね。 ちなみに、カフェオレがフランスの家庭に広まったのは、1685年、シュール・モナンという名医がコーヒーにミルクを混ぜて医療に使ったことがきっかけだそうです。
 カフェオレボウルは、ご当地では家族1人1人の専用が決まっている伝統的な器です。 凝った模様の映える山本玲子さんの秀作。 毎朝の食事がシャキッと楽しくなりそうなボウルです。



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