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−−前回のお話では、決して水指も例外でなく、すべての道具は茶事全体の、取り合わせや雰囲気を考慮して決められていることを伺いました。
 ところで、遠州所持としてよく知られている「和蘭陀」の七宝文の水指は、ずいぶんと個性的にも見えるのですが・・・・。

安藤●「和蘭陀」も見立てのものですよ。
 和蘭陀の水指でいいますと、大体のものの形が口の下辺りでいったんくびれ、胴は寸胴になっていて、再び底近くになってくびれています。
 しかも口に「抜け」があります。 もとは入れ物であったため、コルクのようなもので蓋がしてあり、蝋で密封していたためにそうなったと思われます。 そしてさらにその上から、紙か布を被せて、紐で縛ったからくびれが必要だったのでしょう。 また、内容証明としての絵が描かれ、煙草の葉が描かれていれば、中身もそれだと分かるようになっていたのですよ。

−−へぇ、煙草の葉入れを見立てたのですか。 それにしても和蘭陀は、白化粧に染付の青が鮮やかに映えていて、独特な感じがしますが、根底には遠州の意にかなった美があったのでしょうか・・・・。

安藤●利休の時代と、織部の頃、また遠州の活躍した時代とでは、道具として使われたものが違っています。 つまり時代の風潮が変わるのに呼応して、茶道具も自然に時の空気と合致していくのです。 下克上の暗く厳しい世相から、平和で豊かな世の中へと変遷し、人々の心も明るく開放されて、柔らかくなってきた証ではないでしょうか。
 だから色彩も豊かなものが好まれ、選ばれる道具類が明るく変わってくるのも、自然なことだといえるのですよ。

−−時代や環境が人々の心持ちに色濃く影響するのは、今も昔も変わらないですね。

安藤●そういう視点から見ると、和蘭陀も自然に感じられます。 唐突に現れたものでなく、オランダとの交易があって、そういう時代背景に世の中の風潮がぴったりと重なって取りあげられたものともいえるのです。 すべてのものがそうだと思いますが、時代を見なければものの本質は分からないのです。                                   
(構成・編集部)




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