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−−前回のお話では、水指にはそれ相応の風格や格調があり、しかも、利にかなっていながら用をなす南蛮や備前焼などによいものが見られる、と教えていただきました。
  ところで、南蛮のように南の国々で焼かれた器が、水指として使われたというのは、なにか不思議な感じがするのですが・・・・。


 安藤●水指も例外でなく、ほとんどの道具が見立てによって選ばれ、使われていたことを、ここでもう一度思い出して下さい。
 備前や信楽などの雑器は、釉を掛けずに焼かれていますから、空気が通ってなかのものが腐らず、種などを蓄えておけるのです。 そして、肌合いや雰囲気、寸法が茶の湯の水指に合い、侘茶の道具として相応しいから取りあげたのでしょう。性≠ニ美≠ェ一致したといえます。

−−はい。 日本で生まれた備前や信楽、伊賀焼などが水指に見立てられるのは、確かに違和感がないのですが・・・・。

 安藤●南蛮も熱帯地方で水を蓄えたり、煮炊きに使われていたもので、備前や信楽などよりも柔らかいやきものです。 そして、これもやはり無釉で空気が通い、火の通りもよかったということは、人間の知恵はすでに、水が腐りにくいという事実をつかんでいたはずですよ。 つまり、自然発生した用≠ノかなうやきものだったようにも思えるのですが、むしろ、その特質を知ったうえで、明確な目的をもって器を作っていたと考えられるのですよ。

−−なるほど! ということは、もし南方に渡る機会があれば、意識して備前や信楽に似た無釉の器を見たり、探したりしていたともいえる・・・・のですか?

 安藤●その風合いが、備前などに相通じ、侘茶に相応しいと感じ、用いられたと考えられます。
 したがって、どちらも水を入れる性(=美)が通じていた、いわゆる「用」と侘茶の「美意識」とが合致したからに他なりません。 
(構成・編集部)



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