とっておき | |||
★ WALKING POINTS ★ <8> | |||
信楽(しがらき) (滋賀県甲賀郡) |
縁起物の信楽ダヌキ。 笠は災難除け、徳利は徳が持てる! |
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タヌキの里は、
国際工芸都市に変貌中 |
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滋賀県南部、標高300mの高原地帯を涼やかな名前のローカル線が走っています。 「信楽高原鐵道」です。 緑を縫って、いくつも清流を渡り、やがて電車は終着・信楽駅に到着します。 | |||
信楽は、日本六古窯のひとつ。 中世から続く由緒正しき窯里です。 ホームでは、早速“産地の顔”ともいうべき陶製の大ダヌキが迎えてくれました。
これには「シガラキに来たんだなぁ」と実感! これから始まる旅への期待も膨らみます。 ところでこのタヌキ、町なかにも所狭しと並んでいて、なかなかの愛嬌ぶりに一匹連れ帰りたくなってきます。
でも・・・タヌキへのご執心はほどほどに。 なぜって、ここ信楽ではタヌキや伝統だけでは語れない、インターナショナルなやきものシーンが展開中。 信楽の今を楽しむなら、ぜひこの両面に触れてほしいからです。 そこで、信楽巡りの3カ条。 @レンタ・サイクルを活用する。 A一通り見るなら2日はかける。 B一日なら、テーマを絞る。 Bについては、たとえば、侘茶の茶人たちに愛された古信楽をはじめ信楽焼の歴史を辿るなら「信楽古陶館」や「信楽伝統産業会館」がポイントです。 |
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国際工芸都市を標榜する現代信楽に触れたいなら、「滋賀県立陶芸の森」を中心に。 10万uもの広大な敷地に「陶芸館」「信楽産業展示場」「創作研修館」「多目的広場」「野外展示場」がある全国有数の陶芸施設です。 とくに陶芸館は国内外の陶芸作品を収集展示する専門の美術館。 必見です。 またここは国内外の陶芸家が長期滞在して創作活動を行う、アーティスト・イン・
見学より作家モノの器が買いたいという人は、老舗ギャラリー「陶園」や、新進の「ギャラリー・イデア」を必ずチェックしましょう。 陶園は地元在住の作家に強く、イデアは信楽の枠にとらわれない作家選びや、若手に注目した品揃えが新鮮です。 さて、「やきものは信楽に始まり信楽に終わる」ともいわれます。 そんな信楽焼の奥深さと愛嬌モノのタヌキに会いに、晩秋の旅に出かけてみませんか! |
目にも旨い!男の簡単 | Cooking (30) | |
揚げシューマイのピリカラ風 | ||
市販のシューマイを使ったボリュームたっぷりのスピードメニューです。 決め手はちょっと意外性のあるタレにあり! 器が引き立つ白髪ネギも、気前よく飾りましょう。 |
作品:芦川ミサホ 高5.0 径19.0cm |
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−−前号では、師弟関係を通して、茶碗のなかにひそむ精神の受容というお話を、とても興味深くお聞きすることができました。 ところで、高麗茶碗は遠州にとってどのようなものだったのでしょうか? 安藤●周知のように、青磁などの唐物には伝来品がありましたが、ところが、高麗のものは当時、朝鮮半島から招来されてそう時を経ていなかったものです。 −−たしか朝鮮のやきものは、「文禄・慶長の役」を契機にして日本に入ってきた、といわれています。 安藤●もちろん、唐物に較べれば時代は下がりますが、実は、それ以前から用いられていたと思いますよ。 わが国と朝鮮とは、正式な国交はなかったものの、文禄・慶長時代より以前から交易があって、当時の茶人はすでに高麗茶碗の存在を知っていたと考えるべきでしょう。 そして、「文禄・慶長の役」の折にはすでに高麗ものに目を向けていて、迅速に持ち帰ることができたとする方が、むしろ自然でしょう。 −−なるほど・・・そうですね。 ということは、つまり、その前から朝鮮半島との私貿易のようなものがあった・・・のでしょうか? 安藤●そうです。 ですから、前述した「利休斗々屋」(参照−バックナンバーNo.25)という茶碗を、すでに利休が所持していたことからもわかりますね。 とくに遠州の好みからいえば、高麗茶碗のなかでも茶の湯本来の、心の綺麗さを重視した精神を受け継ぐものを、求めたのでしょう。 いわゆる「綺麗さび」ということです。 −−それが、その時代の気運や精神ともピッタリと一致していたのでしたね。 安藤●それに、やはりお茶には高麗茶碗がよく合います。 中途半端でなくみな本窯できちんと焼かれていて、それぞれの持ち味、つまり本性のよさがにじみ出ているからでしょうね。 |
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(構成・編集部) |
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砥部焼 (とべやき)
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砥部(愛媛県)は有田、瀬戸などに次ぐ磁器の産地です。 松山から車で30分ほど。 ミカン山に囲まれた町には中央に川が流れ、のどかな陶源郷といった雰囲気です。 戦前この砥部川には45基の水車があり、原料の陶石を粉砕していたそうです。 現在は一基を残すだけになりました。 それでも、手描きの絵付の伝統は、90ほどの窯元が一糸乱れず守り続けています。 これが、他の量産の産地と一線を画し、独自のスタイルを築いた砥部焼の矜持と思えます。 ほら、デパートの和食器売り場を思い浮かべてください。 並んでいる染付や赤絵の産地は有田なのか、波佐見なのか、それとも美濃・・・。 なかなか特定できないものです。 それに比べて砥部の器は一目瞭然。 厚手の素地に堅牢な作り、シンプルで大胆な文様は、いわゆる民芸調といわれます。 清潔感があって、「おシャレな普段着」といった顔で、クラフトや民芸品売り場に並んでいたりします。 なかでも「くらわんか茶碗」と呼ばれる飯碗は出色です。 高台が極端に大きく、鉢のようにガッシリしています。 この碗はもともと、江戸時代に大阪・淀川を渡る船に食べ物や飲み物を売るために使ったもの。 なるほど、船上の飲食には丈夫さと安定感が不可欠だったのですね。 実用に優れた砥部スタイル。ひとつ、手に入れてみませんか。 |
絵付はすべて手描き。熟練の技が光ります。 家族経営の小規模な窯元が多い砥部の町。 写真協力:愛媛県東京観光物産センター |