平成24 年度、鉄釉陶器の新たな表現を切り拓いた人間国宝、原清氏より作品66 点が茨城県陶芸美術館に寄贈されました。この受贈を記念し、特集展示「受贈記念原清展」を開催。 原清の代名詞といえる鈞窯と鉄釉のほか、灰釉、黄瀬戸、井戸茶碗、粉引、翠磁、淡翠磁など、多彩な技法を含み、世田谷時代から現在の寄居の窯で制作された近作に至るまで、その長い作陶の歩みを辿ることができます。 | |
原清は、昭和11 年(1936)に島根県簸川郡荘原村(現・斐川町)に生まれました。少年時代を過ごした出雲は、北前船の寄港地で、江戸時代から有田や唐津の陶磁器が渡ってきた土地でした。登下校の途中に拾った染付の古い陶片の美しさに魅せられ、陶芸の道を志します。 | |
「釣窯八角鉢」(1972-73) |
同30 年(1955)、19 歳で京都の石黒宗麿に弟子入りし、その1 年後に清水卯一に師事。近代の鉄釉陶器を代表する二人の人間国宝のもとで学びました。同33 年(1958)、22 歳で第5 回日本工芸展に初入選の後、同40 年(1965)、東京都世田谷区に工房を築いて独立し、同44 年(1969)には日本伝統工芸展日本工芸会長賞を受賞。失透性の青い釉薬の地に、銅で紫紅色の斑文を発色させる「鈞窯」の技法で評価を高めました。 | |
「黄瀬戸刻文盒子」(1984) |
昭和55 年(1980)に埼玉県寄居町に居を移し、様々な技法を手掛けながらも、「鉄釉」の技法で独自の世界を築いていきました。「鉄釉」とは、釉薬中の鉄分を黒や褐色に発色させる技法ですが、原の作品では、草原を悠々と駆ける馬や、風に揺らぐ草花など、身近な自然の世界を題材に、黒と褐色の二色のシルエットが溶けあうように表現されています。平成17 年(2005)、「鉄釉陶器」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。 | |
「翠磁刻文香炉」(1993) |
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