写真左:マイセン磁器博物館 写真上:交差する2本の剣はマイセン窯の印。アウグスト強王の紋章が使われています。 |
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チケット売場 |
エントランスに設けられたお絵かきコーナー |
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磁器製作所に併設された博物館では常時3000点のマイセン磁器を展示。ストライキの影響で到着時、博物館は閉館。1階のショールームのみ立ち入ることができました。写真右:マイセン磁器の創始者アウグスト強王の肖像画が飾られているのがショールームの入口。 | ||
17世紀、ヨーロッパでは東インド会社を通じて日本や中国から運ばれてきた磁器がもてはやされました。高価で貴重な磁器は「白い黄金」と呼ばれ、各国の王侯貴族が東洋の白磁器を買い求めました。その中で、ヨーロッパ一の陶磁器コレクターであったアウグスト強王は他国に先んじて白磁器を製造する野望を抱きます。 1701年、強王は錬金術師と言われ話題になっていた19歳の若きベトガーに白羽の矢を立てました。磁器の製造を命じられたベトガーは、実験を重ねた末に“カオリン”を発見。科学者であったチルンハウス伯爵の協力を得て遂に磁器の焼成に成功します。 磁器の完成を喜んだ強王は、この技術が盗まれるのを恐れ、マイセンのアルブレヒト城に磁器製作所を作りました。門外不出で開発を進めた強王が次に命じたのが色絵具の開発でした。柿右衛門のような赤色を作るため、呼ばれたのが絵付師のヘロルトです。ヘロルトは10年間で16色を開発し、その色は現在でも秘伝の色として残され、マイセン磁器の基本の色として使われています。 1731年、ケンドラーが成形師として招かれ、強王の命により動物の塑像を作り出します。磁器の動物園を作りたいと願う王の命を受けてからわずか数週間で今にも動き出しそうな見事な動物を完成させ、その後5年間で570体もの動物を作り上げました。 |
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ケンドラーが開発した技術の中でも特に繊細といえるのが「貼花装飾」です。型取りした小さな花を1つ1つ貼り付けたもので、 焼成時にひび割れたり、取れたりしな
いようにするため力の入れ具合が重要となります。 無数の小さな花が表面を飾る豪華な作品です。 香炉として作られた『パコダ人形』もケンドラーのアイデアです。手や首が動く仕掛けが施され、当時の人々を驚かせたといいます。 |
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『パコダ人形』 | ||
当時の宮廷の生活を題材にした「フィギュリン(人形)」。ユーモアと風刺をまじえ、客人を退屈させないために作られました。 磁器とは思えないほど繊細でなめらかな服のしわや豊かな表情を見事に表現しています。 |
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金彩をふんだんに使った豪華な器を作るために考案されたのが「光沢金」と呼ばれる金彩装飾の技術です。筆で彩色する段階ではこげ茶色ですが、800度から900度で焼成することで光沢のある金色に変化します。この技術によって磨く手間がなく効率良く金彩が使えるようになりました。 | ||
『皇帝様式食器 セルヴィス』 | ||
時代と共に移り変わってきたマイセンの窯印。初期はアウグスト強王のイニシャルであるAと国王を意味するRを組み合わせた紋(皿右上)が使われていました。その後、青い双剣に変わり、以降少しずつ形を変えながら現在も使われています。 | ||
高級磁器の代名詞ともなっているマイセン、その名にふさわしくショールームもゴージャス。 | ||
ショールーム奥に併設されている「アウトレットコーナー」。定価の2割程でマイセンが手に入ります。 |