インターネット版 No.77 全2ページ 1 | 2

1 ・特集 九州やきもの散歩 A ・・・ 薩摩・武雄・有田篇 15代沈壽官さん訪問記 (1)
2 ・特集 九州やきもの散歩 A ・・・ 薩摩・武雄・有田篇 15代沈壽官さん訪問記 (2)


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九州やきもの散歩 A ・・・ 薩摩・武雄・有田篇
薩摩焼・伝統の名窯

15代 沈 壽官さん訪問記
              ちん・じゅかん
400年を経て受け継がれる九州の陶磁
前号に続く特集、「九州やきもの散歩」の旅。岡本立世総長(陶房九炉土主宰、九炉土千駄ヶ谷校総長、陶芸指導プロ養成塾塾長)の九州諸窯視察の同行記は、いよいよ薩摩焼の里・美山へと向かいます。
工房脇には大甕が並べられ、夏の日射しと木陰が美しいコントラストを見せていました。
15代 沈 壽官  Jukan Chin 15th
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1959年に鹿児島県に生まれる。83年、早稲田大学を卒業。84年に京都市立工業試験場修了。85年、京都府立陶工高等技術専門学校修了。87年にベルナルド・コンペディション(フランス)入選。88年、イタリア国立美術陶芸学校卒業。同年、チルコロ・フィオーレ(イタリア)入選。90年、韓国にてキムチ壺制作。99年に15代沈壽官を襲名。2000年、明知大学(韓国)客員教授に就任。同年、鹿児島・山形屋にて襲名展。02年に日本橋・三越にて襲名記念展。03年、京都伝統工芸館にて「沈壽官家歴代展」を開催。06年、日本橋・三越にて個展。
座敷の屏風にあるがまま、この陶家には、いつも爽やかな風が流れていると感じました・・・。
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沈家の格式と矜持

 鹿児島本線の伊集院駅からなら車で10分ほど、かつて苗代川と呼ばれ、現在の地名でいう日置市東市来町美山に到着します。
 ここが400年の歴史を誇る薩摩焼の里で、今も15軒の窯元が煙を上げています。 なかでも、かつて献上品として焼かれた白薩摩を焼くのは、その内の6軒の窯。 今もそれぞれの伝統に則り、作り続けられています。
 薩摩藩から士族として取り立てられ、また御用窯として藩から庇護を受けていた名門・沈家は、武家屋敷らしい面影をあちこちに色濃く残しながら、4世紀の時を経てきた窯としての格式と矜持を、今もこの地で静かに守り通していました。
「八角皿」
 展覧会のためにご多忙中とは伺っていましたが、風が通る涼やかな座敷に私たちは招じ入れられ、15代沈壽官さんは快く取材に応じて下さいました。
 細やかに客をもてなしながらも、薩摩隼人らしく泰然としている方だと思えました。
 そんなふうに見える15代の作る白薩摩は、つとに定評があります。 とくに極めて微細な網目状の貫入がびっしりと入った素地の美しさは、また格別です。
 「蝉の羽のような貫入が入っているのが、白薩摩の理想ですね」と沈さんはいいます。
 この言葉を受けて、今度は岡本総長が、「どんな狙いで、どういう種類の土を使っているのですか?」と専門家としての立場から話題を向けました。
 すると当代は、急に前に乗り出すようにして、「素地土は陶器としての温もりと、白の清潔感を残す土作りをいつも大切にしたいと思っています」。
 創作家としての本音が垣間見られたような気がしました。




数々の名品が焼かれた沈家の登窯。ほかに「温度差を3度以内に抑える」必要から、丸窯も使うそうです。

工房では20人ほどの職人が、ロクロ、透彫り、糊入れ、絵付などを分業で行います。特に透彫りなど細密な作業はもちろん、 全員が仕事に集中していて心地よい緊張感がありました。




 
武家門をくぐり植え込みの間を進んでいくと、正面に壽官陶苑の作品展示・販売所が見えます。
ここには15代の新作や窯ものなどが展示されています。薩摩焼の高貴な作りが堪能できます。

壽官陶苑/鹿児島県日置市東市来町美山1715  TEL.099-274-2358
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壽官陶苑の収蔵庫には、沈家歴代の代表作品や関連資料などが展示されていて 、400年の重い歴史を知ることができます。壁に飾ってあった鶴の木型(左上)がレリーフのように見えました。
 
15代沈壽官「亀甲小皿」(表と裏)
金彩と赤絵が上品な文様としてあしらわれているのが、控えめながら強い印象を残します。
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誠実と情熱の薩摩焼

 さらに沈さんは、「そうすると結局、市販の土は使えず、あちこちから粘土を運んできてはブレンドし、自分で作るしか方法はないんですよ」と、付け加えました。 15代の語り口が一気に熱を帯びてくるのが分かりました。 同じもの作りである岡本総長との対話に、触発されているのだと思われました。
 続けて「土には記憶があるんです」と沈さんは切り出し、「ですから、成形するときには土に余分な負荷をかけないよう気をつけています」と言います。
 精巧な薩摩焼、ことに香炉などの二重透しなど、気の遠くなるような繊細な細工ものの成形時などに、狂いが生じる原因となるからことさら慎重です。
 それは例えば、ロクロ成形の時にも反映され、土ころしをあまりせず、 しかも一回で伸ばすところを、二度、三度と分けて挽き上げ、土を労ることを意識しながらの作業の連続です。
 素材を愛おしみつつ、かつ大切に扱う様や、ひとつの香炉の透彫りに1カ月ほども費やすことなど、薩摩焼に対する誠実な思いが、ひしひしと伝わってきました。
 岡本総長の「当代の作品の特徴は、土の温もりと清潔感を併せ持った白い素地と、美しい発色がとくに印象深い赤絵にありますね」という感想に対しては、 「赤絵の具は、まるで老婆が縁側で居眠りをするように、ゆっくりと力を入れずに擦るといい色になるんです(笑)」と当代。
 いかに熱を持たせないように擦るのかが、よい赤絵を仕上げるためには肝心だといいます。 そうユーモラスに語る内には、寛容な人柄も滲んでいました。
 堂々たる薩摩隼人は、しかしその内面には、巧緻を極めた透彫りや、華麗微細な絵付を得意とする窯の指導者に相応しい、繊細さと気配りを併せ持っているのがはっきりと窺えます。
 「いい仕事とは、ごまかさずに誠実にやること。 私たちは人のできることはやらない、できないことをやります」
 
 15代沈壽官「翔鶴皿」
   伝統的な鶴の意匠が、典雅な雰囲気を漂わせた秀作です。
 
 400年間、一子相伝で李朝陶芸の秘法を継ぎ伝え、薩摩の歴史とともに生きてきた沈壽官家の当主としての自信は、揺るぎないと感じつつ、私たちは美山の窯里をあとにしました。


・・・・・・ 2ページに続く



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