−−前号では、南蛮の器に備わっている「用」と、侘茶の「美意識」とが一致した結果として、南蛮が水指に採用されたという経緯を教えていただきました。 それにしても、南方の異国で焼かれたやきものを、茶道具として見い出し、実際に使ってしまった茶人達の果敢な感性には、驚嘆してしまいます。 安藤●伝世している南蛮の水指は、ちょうど寸法の具合がいいものが多いのですよ。 やはり、偶然ばかりが重なったとは考えにくいです。 そんなに大きくもなく、極端に小さなものも少ない。 水指に相応しくないほど小さなものなら、たとえば建水などにして使っています。 そのように、作られた本来の用途とは異なる見立てがあって、まずは、水のために「性」のいい、そして侘茶の美意識に通じており、しかも寸法のよいものだけを選んで水指として使っていたのです。 −−やはり茶道具は、総合的に判断して用いなければならないのですね・・・・。 では、水指に相応しい大きさとは、おおよそ、どれくらいを目安に考えればよいのでしょうか? 安藤●それは、ひと口にはいえませんね。 なぜなら、季節からいっても、水指は大きさが考慮されて選ばれ、使われているのですからね。 つまり炉の場合は、脇に風炉釜がありませんから、多少大きなものでも用いることができます。 ところが風炉の時はそうではなく、道具類はだいたい小振りになり、茶碗も浅めになります。 必然的に小振りのものが選ばれるわけです。 また広間の薄茶席になると、棚や長板などを用いることがほとんどですから、それらに似合ったものが使われます。 染付や赤絵、オランダなどは原則として、畳にじかに置きません。 茶人達はあくまでも、本性を見据えて、すべての道具は茶事全体の、取り合わせや雰囲気を考慮して選ぶわけで、水指にしても例外ではありません。 |
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(構成・編集部) |
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伊万里焼の巻 (いまり) |
秘窯の里・大川内山の案内図は染付の陶板。 |
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伊万里といえば、むしろ「古伊万里」という呼び名の方が有名かも知れません。 これは、古い伊万里焼の熱心なコレクターが多いからでしょう。 17世紀後半にはヨーロッパに輸出され、王侯貴族にもてはやされたという輝かしい歴史もあります。 ちなみに、当時、ドイツのアウグスト王は熱狂的なコレクターで、「イマリ」に触発され自国での磁器開発を命じます。 この窯こそ、今、私たちに人気のマイセンなのです。 ところで現代の伊万里焼ってどんなやきもの? その昔、有田で焼かれたやきものは伊万里港から出荷されたために、消費地で「伊万里焼」と呼ばれました。 その後鉄道が開通し、有田焼と呼ばれるようになり、現在では有田産のものは有田焼、伊万里で焼かれたものは伊万里焼として区別し、流通しています。 今回はそんな伊万里市の大川内山にあった秘窯・鍋島藩窯にズームアップします。 かつて有田を領有していた鍋島藩は、将軍や各大名に献上するために独自の窯を興します。 1675年には有田にあったその窯を、機密保持のため秘境・伊万里市大川内山に移築するのです。 その甲斐あって、鍋島藩窯の磁器製品は、染付の青、赤、緑、黄など限られた絵具を用いて、徹底した技巧主義による、素晴らしい様式美を保ち続けました。 |
目にも旨い!男の簡単 | Cooking (38) | |
ジャガイモとヤリイカのガーリック風味 | ||
普段着の野菜ともいえるジャガイモ。 イカと合わせ、味付けも工夫して織部皿に盛れば小粋な総菜に変身。 小料理屋のカウンターに並んでいそうです。 |
作品:高橋修子 径17.5×12.5cm |
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