インターネット版 No.50 全ページ 1 | 2

1 ・ZOOM--UP 13 ・・・ 丹波立杭焼
・茶とやきもの 39 ・・・ 遠州流・安藤宗良先生にインタヴュー「見立てから生まれた陶製の水指」
2 ・目にも旨い!男の簡単Cooking 36 ・・・ アスパラの変わり揚げ
・使ってみたい!!釉薬 42 ・・・ ビードロ織部釉+燻し黒釉+紅柄

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ZOOM-UP <13>
丹波立杭焼 (たんばたちくい)
 
 その昔「丹波越え」といえば、駆け落ちの意味さえあったといいます。 それほど山深い谷間の地に、丹波立杭はあります。 さすが、800年の歴史を誇る日本六古窯の一つ。 旅への期待は大いに高まりますが、ところで、交通の便は・・・・大丈夫?
 現代では、訪ねるのはそう難しくありません。 JR福知山線の相野駅から車で10数分、丹波焼の拠点・兵庫県篠山市今田町に到着。 峠を越えると、川に沿って続く集落が見えてきました。 四方には緑の山並がけむり、約60軒の窯元が点在するさまは、いかにも古からの陶郷といった趣き。 こんな時が、旅の喜びを感じる瞬間です。
 さて立杭での定番ルートは、陶芸のテーマパーク「陶の郷(すえのさと)」各窯元巡りをする案です。 伝統の窯のほか、西端正氏や市野雅彦氏など人気作家にもご注目ください。
 そして、今回ぜひお勧め したいスポットが、「蛇窯(じゃがま)」と、「こんだ薬師温泉 ぬくもりの郷」です。 蛇窯は丹波焼に特徴的な登窯で、傾斜地に蛇がはい登るように築かれることからこう呼ばれます。 明治期の窯が今も使われ、ド迫力です。 旅の最後をしめくくるのは「丹波焼陶板風呂」で決まり。 なんと、湯船も床も丹波焼なんです!   
伝統的な焼締めから釉薬ものまで、多彩な現代の丹波焼。

写真協力:今田観光協会
 
丹波特有の窯は無段の割竹式登窯です。






−−本連載ではこれまで、茶入、そして茶碗についての含蓄ある話をお聞きしてきました。 引き続いて今回からは、水指にまつわるお話を伺っていきたいと思います。
 ところで水指は、いつ頃から今あるような茶道具として定着したのですか?


 安藤●皆さんもよくご存じのように、水指は水差とか、あるいは水器ともいわれ、釜に入れる水や茶碗や茶筅を洗うための、水を入れる容器です。
 歴史的にみますと、本来の茶の湯は、台子(だいす-風炉、釜、杓立、蓋置きなど一式を飾る棚)を使って書院でおこなわれるものであり、それが茶の原点です。 やがてその後になってから、現在見られるような草庵の茶が生まれてきたのですよ。
 したがって、初期の茶の湯の時代には水指は皆具のひとつとして、建水や杓立、蓋置きなどと一緒に組になっていました。 しかも素材はといえばやきものではなく、主に唐銅製などの金もの(金属器)が多かったのですよ。

−−金属器ですか? とても意外な感じがします。それになんとはなしに、草庵茶の方が古くからあるような気がしていました・・・・。

 安藤●やがて時が流れて、草庵の茶の湯の時代になってから、お台子から離れて、水指も独立した茶道具のひとつとして見られるようになり、陶器が使用されはじめました。
 とはいっても、突然水指が作られるようになったのではありません。 まず、草庵の茶の雰囲気に見合うような、たとえば備前の種壺や伊賀、信楽、丹波などの無釉陶の器が、水指として用いられるようになりました。 いわゆる「見立て」が行われたのです。

−−なるほど・・・・。 現代にも見られるような、様式として完成された水指が先にあったわけではなかったのですね。

 安藤●陶器で最初から目的をもって作られていたものは、天目茶碗しかないのですよ。 はなから天目台に載せて使うために作られていましたから、高台も小さくなっています。
 茶の湯が時代とともに盛んになり、全盛期を迎える以前までは、ほとんどの道具は、見立てによって使われていて、もちろん水指もその例外ではなかったのです。  
(構成・編集部)


                                                                                                     

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