−−前号では、遠州はとても謙虚に、分(ぶん)をわきまえたうえで、お茶がよく合う古井戸茶碗を好んで用いたことをお聞きしました。 ではそのほかには、どのような茶碗を持っていたのでしょうか? 安藤●「利休斗々屋(ととや)」という茶碗があります。 斗々(魚)屋とは高麗茶碗の一種で、堺の納屋衆の魚(とと)屋に伝来した茶碗から、その名称が生じたともいわれています。 そしてなによりこの茶碗は、千利休が持っていて、それがやがて古田織部へと伝わったのでした。 ところが織部は、戦の資金を得るために、やむなくその茶碗を質入れしなければならなくなりました。 そんないきさつを、まだ歳若かった遠州が聞くやいなや、それを請け出したのですよ。 −−ということは、利休→織部→遠州と伝わったのですね! どうりで有名な茶碗なわけです。 安藤●そうですね。 しかしここで重要なのは、この「利休斗々屋」には、利休の思いが込められていることです。 だから、弟子である織部へと伝わったのです。 そして遠州ももちろん、その茶碗には利休の気持ちが入っていると理解していたからこそ、他人には渡せない茶碗だと考えたのです。 −−・・・なるほど。 天下の目利きには、いろいろなことが深く見えてしまっているのですね。納得です。 安藤●このように、ものを介して心を伝え継ぐことを「的伝(てきでん)」といっています。 つまりこの茶碗には、利休の美に対する考えが凝縮されていて、それを織部が師匠から受け継ぎ、さらにその弟子である遠州へと伝わったのです。 まさに的を射るように、茶の湯の本質がものに姿を借りて、継承されていく様がよくわかりますね。 そして遠州は、ことのほか「利休斗々屋」を大切にし、茶室開きの折には、一番最初にこの茶碗を使っていたほどです。 |
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(構成・編集部) |
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