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−−前号では、遠州はとても謙虚に、分(ぶん)をわきまえたうえで、お茶がよく合う古井戸茶碗を好んで用いたことをお聞きしました。
 ではそのほかには、どのような茶碗を持っていたのでしょうか?

 
安藤●「利休斗々屋(ととや)」という茶碗があります。 斗々(魚)屋とは高麗茶碗の一種で、堺の納屋衆の魚(とと)屋に伝来した茶碗から、その名称が生じたともいわれています。 そしてなによりこの茶碗は、千利休が持っていて、それがやがて古田織部へと伝わったのでした。
 ところが織部は、戦の資金を得るために、やむなくその茶碗を質入れしなければならなくなりました。 そんないきさつを、まだ歳若かった遠州が聞くやいなや、それを請け出したのですよ。

−−ということは、利休→織部→遠州と伝わったのですね! どうりで有名な茶碗なわけです。
 
安藤●そうですね。 しかしここで重要なのは、この「利休斗々屋」には、利休の思いが込められていることです。
 だから、弟子である織部へと伝わったのです。 そして遠州ももちろん、その茶碗には利休の気持ちが入っていると理解していたからこそ、他人には渡せない茶碗だと考えたのです。

−−・・・なるほど。 天下の目利きには、いろいろなことが深く見えてしまっているのですね。納得です。
 
安藤●このように、ものを介して心を伝え継ぐことを「的伝(てきでん)」といっています。
 つまりこの茶碗には、利休の美に対する考えが凝縮されていて、それを織部が師匠から受け継ぎ、さらにその弟子である遠州へと伝わったのです。 まさに的を射るように、茶の湯の本質がものに姿を借りて、継承されていく様がよくわかりますね。
 そして遠州は、ことのほか「利休斗々屋」を大切にし、茶室開きの折には、一番最初にこの茶碗を使っていたほどです。 
(構成・編集部)






「民藝四十年」

柳 宗悦 著
  







 柳宗悦は、ふだん何気なく使っている器物の中に潜む美をはじめて指摘し、著述や運動を通して世間に知らしめました。
 それを民衆的工芸=民芸と名付け、全国の手仕事を発掘する旅をしたことでも有名です。
 では、そんな絶大な足跡を残した人は、実際、何を考えていたのでしょう・・・。 本書は、その問いに答えてくれる一冊です。
 1920年から約40年間にわたって書かれたエッセイ風の論考が20本、編年体で収まっています。 東大出身の哲学者だった著者の文章は、論理的でいて情操に満ち、今でも瑞々しい魅力にあふれています。

(問)岩波書店
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