−−前号では、俗にいわれる「一楽二萩三唐津」という茶碗の序列について、なかでも楽茶碗に関するとても興味深いお話をうかがいました。 では、楽茶碗の後塵を排した格好になってしまった萩や唐津茶碗の本当の実力は、一体どんなものなのですか? 安藤●ご存じのとおり、萩の陶祖は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴って、朝鮮から連れてこられた陶工・李勺光と李啓兄弟と伝えられています。 17世紀初頭に開窯し、井戸茶碗やそれに肩を並べるほどのものも焼かれていますよ。 もちろんそれらには、高麗茶碗からの強い影響が見られます。 また唐津でも同様に、朝鮮から陶工を渡来させ、陶業が飛躍的に発展したという経緯があります。 その結果、奥高麗や彫唐津、また絵唐津など、なかなか趣のあるものが焼かれています。 −−九州の窯場には、ほかにも、たとえば高取などもありますが・・・。 安藤●遠州高取では、茶碗も作られていないことはないのですが、茶碗よりもむしろ、茶入を主として作る窯場です。 漉して作った微細な粒子の土を材料に用い、細やかで軽やかな仕事を生んできました。 そのように、遠州が高取を積極的に指導したのは、唐物に比肩しうるような、薄手の茶入作りだったのですね。 −−となりますと、萩や唐津は、茶碗を産する窯として、一定の評価はできる・・・? 安藤●つまり萩や唐津は、楽と違って本窯(本焼の窯)ですし、それに素材の特性から、厚手に作られています。 それらの条件が整っていて、茶碗を作るには大変向いている窯場だったとはいえますね。 現在でも萩や唐津では、茶道具のなかでは、茶入などよりも、どちらかといえば、茶碗が多く作られているのではないですか。 −−では、「二萩三唐津」といわれる根拠はあるのですね。 安藤●楽には違和感がありますが、唐津や萩の茶碗には、高麗の井戸茶碗に匹敵するような味わいがあるものも、確かに焼かれていますからね。 |
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(構成・編集部) |
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