インターネット版 No.14  全2ページ 1 | 2

1 ・速報 女流展入選 夢中で作って、チャンスを活かす
・茶とやきもの 27 ・・・ 遠州流・安藤宗良先生にインタヴュー 「楽茶碗が「一楽」といわれる由縁」
2 ・とっておき WALKING POINTS (4) ・・・ 平清水(ひらしみず)
・目にも旨い!男の簡単Cooking (25) ・・・ 白菜とアサリの煮物

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速 報  夢中で作って、チャンスを活かす

松野美紀さんが「女流陶芸公募展」に入選 
「女流陶芸公募展」は、陶芸界へのデビューにつながる登竜門。
 
陶芸指導プロ養成塾で学ぶ松野さんが、
陶芸家への登竜門といわれる 「女流陶芸公募展」に入選!!です。




病める地球や人類の危機を鋭く表現した松野美紀さんの入選作
「きざし〜誕生と破壊の足音」



◎的確な助言と情熱 
 まだ女性陶芸家がほとんど活動していなかった昭和32(1957)年、坪井明日香氏(主宰/陶芸家)はじめ、7人の女性陶芸家らによって「女流陶芸家協会」が京都に結成されました。 これはわが国初の、女性陶芸家だけの会でした。 そして同45(1967)年からは、毎年、「女流陶芸公募展」(毎日新聞社主催)を京都市美術館で開催し、昨秋で35回を数える権威ある公募展です。
 とくに女性陶芸家たちにとっては、陶芸界へのデビューへつながる登竜門的な性格があり、入選するのが大きな目標となっています。

 松野美紀さんは5年ほど前、九炉土千駄ヶ谷校の一日陶芸教室で茶碗を作ったのが、この道に進むきっかけでした。
 その後、初級〜上級コースへと進み、現在は陶芸の指導者を目指して、陶芸指導プロ養成塾に籍を置いて学んでいます。
 そして昨年も岡本塾長の指導のもと、3学年への進級作品のドローイングがはじまりました。 出来上がり次第では、ビッグ公募展への出品許可が下りるとあって、これまで手掛けたことのない大作にチャレンジしました。

 「今まで作ったことのないサイズでしたから、紐土をいくら積んでも大きくならないし、乾燥の具合もとても難しかったです。 とにかく助言をいただきながら、夢中で、必死に作りました」
 しかし大作となると、思うようにいくものではありません。 「半ばあきらめ気味の私に、岡本先生が必殺の方向性を授けて下さったのです」

 そして同公募展に応募した作品は、ヒビ割れた大きな球(地球)のなかに、その象徴としてアメリカの同時多発テロで崩壊した、NYの世界貿易センタービルのような造形物を配したものに、見事に再構成されました。 
 地球環境の破壊、人種差別、東西格差、宗教紛争など・・・、病める地球を鋭く表現した大作に変貌しました。 
 的確なアドバイスや方向付け、それに作り上げようとする作者の情熱さえあれば、プロへの登竜門といわれる公募展への入選も、決して夢ではなく、実現できるのです。
 そしてこれらの条件さえ整えば、それは誰にでも可能なのだと、岡本先生はおっしゃいます。

 なお、松野さんも籍を置き、指導者としての技術修得に励んでいる指導プロ養成塾(3年制)では、すでに合格者が確定し定員を超えていますが、ほんの若干名でしたら追加受験、および入学の調整が可能とのことです。
 募集は3年に一度しか行われません。 この機会をお見逃しないように!!
「時間がなくなるし、手捻りで紐土を積んでも積んでも大きくならないし、ホント焦りました」という松野美紀さん。



作品制作中の松野さん。 作業を進めながら、乾燥の程度を把握するのが難しかったそうです。
 
 

「女流陶芸公募展」の会場(京都市美術館)に展示される松野さんの入選作。


入選者リストには、松野さんの名前が刻まれています。





−−よく「一楽二萩三唐津」と、茶碗の序列をいうのを聞きますが、実際はどうなのでしょうか。 また、いつ、誰がいいはじめたのですか?

安藤●いつ頃からそういわれたのか、はっきりとはわかりませんが、やはり「一楽」の楽は、千利休が侘茶の精神を表すために、楽茶碗を積極的に用いるようになってからのことでしょう。  ところがその楽は、比較的低火度(およそ750〜1100度)で焼かれた軟陶です。

−−はい。 土が完全には焼き固まってはいないそうですね。 でも茶碗としては、いつも王座を占めているようにも思いますが・・・。

安藤●つまり客観的にいえば、楽茶碗は生焼けですし、楽焼の器には独特の臭いがあります。 五感が発達している日本人は、味や臭いにとても敏感に反応しますし、微妙な香りを大切にしてきました。 ですから臭いの強い花は、お茶会に相応しくないとされるくらいなのですよ。
  なのに茶を点てた時、その香りを損なうような楽茶碗を、なぜ、あえて良しとしてきたのでしょうか。

−−となりますと、楽茶碗には使い難さもあると・・・。


安藤●たとえば『陶器考』という江戸末期の本には、遠州が自らの好みで注文・指導したかのようにいわれて、国焼の七窯が選定されています。
  ところが、そのなかに含まれている、とくに赤膚や古曾部は、遠州在世中にやきものを焼いていない窯ですから、まったく正しくありませんと、以前にもお話しましたね。

−−はい。 それらは俗に「遠州七窯」といわれますが、誤解を招くため用いないほうがいいと、お聞きしました。


安藤●つまり、遠州の名を冠すれば価値が上がるから、そのような呼称が生まれたと考えられます。
  それとは少し事情が異なるのかもしれませんが、「一楽・・・」は、位を高くして楽茶碗を世の中に広める手段として使われているようにも思え、なにか企てめいたものが感じられます。
(構成・編集部)



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