インターネット版 No.6 | 全2ページ 1 | 2 |
1 | ・特別レポート ・・・ 陶芸の楽しみ 様々なアプローチ ・ZOOM--UP<2> ・・・ 常滑焼 |
2 | ・茶とやきもの 25 ・・・ 遠州流・安藤宗良先生にインタヴュー 「礼儀作法の基本は生活のなかで身に付ける」 |
特別レポート | |
陶芸の楽しみ 様々なアプローチ |
ニコニコの真木ことみさんは、大満足!! ロクロ目も鮮やかな丼(鉢)とぐい呑が完成です。 (写真協力:『月刊カラオケ大賞』以下同) |
演歌歌手・真木ことみさん/ 淡交会千代田青年部の皆さん 淡交会の皆さんと、演歌歌手の真木ことみさん。 それぞれが九炉土千駄ヶ谷校を訪れ、陶芸に挑戦しました。 各々の取り組みと楽しみ方をご紹介します。 |
◎憧れの陶芸にハマる
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注目の演歌歌手・真木ことみさんが、千駄ヶ谷校に来校したのは、雑誌の記事のためでした。 陶芸に初挑戦する真木さんを取材し、作った作品をファンにプレゼントする、という企画です。 でも「ずーっと前から興味があって、いつかやってみたいと思っていた陶芸に、チャレンジしてみました。 土を練りロクロを回し、ひとつの作品を創り上げる。 憧れてたんですよね〜」 と、真木さんはいっています。 まずは土練りを終えて、いきなり次に向かった先が電動ロクロ。 ハラハラしながら周囲が見守るなか、真木さんは終始笑顔を絶やさず、瞳を輝かせ、まったく楽しくて仕方ない様子です。 そしてついに「ニコニコの作品」(真木さん)となって、堂々の処女作、ぐい呑と丼(鉢)が完成しました。 正直いって、これにはその日指導に当たった斉藤先生もビックリ、の出来映えでした。 個性的な歌唱力のほかにも、陶芸という才能が眠っていて、その日、一気に刺激されたのでしょう。 そして、そのことがきっかけとなって、真木さんは陶芸に見事にハマってしまいました。 以来、オフを見つけては、千駄ヶ谷校にやって来て腕まくりし、陶芸に熱中!する日々です。 |
真木さん(右)と講師の石井千景先生。 |
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さて今日は、何を作ろうかなぁ…?ロクロを挽く真木さんは、いつも本当に幸せそうです。 |
土をこねる手にも力が入ります。 |
いずれもみごとな出来栄えです。 |
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真木ことみさんの会心作、徳利と小皿。 こちらもファンにプレゼントするそうです。 |
◎ホンネは使って楽しむ
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淡交会千代田青年部の皆さんは、日頃は東京の中心部、千代田区や中央区を拠点に活動し、茶の道(裏千家)を究めんとする同好の士、茶人の集まりです。 「私たちはお茶そのものだけでなく、例えば茶杓を削ったり、美術館へ行ったり、その周辺にも興味を持って楽しんでいます。 とくに陶芸は、みんなにやってみたい気持ちがありましたネ」と、幹事の樋爪真知子さんはいいます。 お茶に関連したテーマを考えては、年に3〜4回の行事を開催しているそうです。 |
明るい雰囲気のなか、淡交会の皆さんの茶陶制作が進みました。 茶碗や菓子鉢など、力作が焼けました。 |
手ロクロのうえでは、茶碗や菓子鉢、建水などの茶器が、次第に形になっていきました。 今回が陶芸初体験という方もいれば、手慣れた手付きで紐土を捻るベテランさんもいます。 削りの工程へ進むと、急にぐっと集中し、無心にカンナを使う人が多くなったように感じました。 さすが高台削りには、一際、神経を使っているようです。 「いざ高台を作り、削ろうと思うと、日頃、きちんと見ていないことに気がつきました(笑)。 これからは、お道具の見方も違ってきます」 (堤カオリさん) 「花入を作ったのは、今回がはじめてです。 バランスがとれなくて苦労しましたから、今度、こういう形の花入を見るときには、そのあたりを鑑賞しようと思います」 (根本裕子さん) このように、器を自ら作ることによって、改めてお茶に対する日頃の姿勢が問い直され、再確認できたそうです。 「茶碗は見た目が重く、実際は軽くしようと思っていても、どうしても、重くなってしまいますねぇ(笑)」 (樋爪さん) とはいえ「できれば道具として使いたい」とか、「焼き上がったら、せめて自分だけでも使って楽しみたい」というのが、実は皆さんのホンネでした。 ■ |
淡交会の皆さんはさすが茶人、高台削りは真剣そのものでした。 |
制作の合間の休憩時間には、一服点てて、ひと息入れました。 |
いずれも、存在感ある作品に焼き上がりました。茶会にも使えそう。 |
ZOOM--UP <2> | |||||
常滑焼の巻
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常滑焼といえば急須。 誰もが一度は目にしたことのある、あの、赤茶っぽい急須で有名です。 なにより、常滑の誇る人間国宝・山田常山氏は、急須(常滑焼)で国宝に指定されています。 一方、実際に町を訪ねると、目につくのは野積みにされた土管の山。 人気の観光スポットも、土管坂、土管海岸とネーミングされていて、土管のある風景こそ常滑の顔、といえるのです。 この朱泥急須と土管、ずい分かけ離れたもののようですが、いつ頃から常滑で焼かれ、定着したのでしょうか・・・。 六古窯に数えられ、1000年の歴史を持つ常滑。 しかし朱泥急須、土管とも起こりはさほど古くなく、幕末のことでした。 土管は、常滑中興の祖といわれる鯉江方寿が明治初期に規格化と量産に成功。 常滑近代化の原動力となりました。 かたや朱泥急須は、文人趣味として煎茶が流行したのを受けて作り始めました。 明治11年、中国の文人から中国・宜興窯での作り方を直接学んだことが契機となり、一躍製品として発展したのです。 産地としては、不器用で渋いイメージの常滑。 こうして産業陶器と工芸品が共存するさまに、懐の深さを感じてしまうのです。 近年注目される、常滑在住の陶芸家たちの開放された仕事ぶりが、なによりそれを証明してくれているようです。 |