インターネット版 No.1 | 全3ページ 1 | 2 | 3 |
1 | ・こだわり陶芸紀行 6 ・・・ 素朴で、親しみやすい唐津焼の器 ・茶とやきもの 24 ・・・ 遠州流・安藤宗良先生にインタヴュー 「人としての仕草を忘れてしまった現代人」 |
2 | ・こだわり旅手帖 1 ・・・ 渋草焼(1) |
3 | ・こだわり旅手帖 1 ・・・ 渋草焼(2) |
唐津焼に学ぶ こだわり陶芸紀行6 |
素朴で、親しみやすい唐津焼の器 |
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−−昨今、駅や電車の中など公共の場で、マナーの悪さに端を発するトラブルが頻発しています。 ほんの少しの人としての「作法」さえ心得ていれば、避けられることも多いと感じるのですが・・・。 安藤●そうですね。 確かに現代人は不作法になっています。 ということは、本来の身体のあり方を知らずに、器用になりすぎてしまった、ともいえますよ。 お茶の作法の原点をいえば、それは人間の身体性からできています。 ですから、我々の身体の動きや成り立ちを、改めて考えてみる時期に来ているかもしれません。 −−そういったことに目覚めさせてくれるのは、やはりお茶の稽古がいいように思えます・・・。 安藤●たとえば、茶席でお茶碗を手に取るとき、脇の下に卵ひとつ分を挟んだくらい開けておきます。 そして、背中をピンと伸ばすと、体と腕が一体となります。 手だけを前に伸ばして茶碗を取ろうとするのではなく、体ごといけるところまでいって、間に合わない分だけ手を動かして取る、ということですね。 そしてまた手を元の位置に戻して体を起こせば、手と体が一体となって、どこにも無理を及ぼしません。 −−なるほど。 動作がとても自然で、まったく無理がありませんね。 安藤●人は本能的に、自らをくたびれさせるような動作はしませんから。 このようにお茶の作法は、詰めていきますと、人間の身体の付き方、重心のあり方などと密接な関係があります。 それを知らずにお茶をすると、単に形式的な作法を真似ることにしかなりかねません。 もっとも今の時代は、お茶に不作法なのではなく、本来の人間としての仕草を忘れてしまったために、あらゆるものに対して不作法になっている、といえるのではないでしょうか。 つまり「お茶に」ではなく、「自分に」不作法になっていると思うのです。 |
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(構成・編集部) |