インターネット版 No.1 全3ページ 1 | 2 | 3

1 ・こだわり陶芸紀行 6 ・・・ 素朴で、親しみやすい唐津焼の器
・茶とやきもの 24 ・・・ 遠州流・安藤宗良先生にインタヴュー 「人としての仕草を忘れてしまった現代人」
2 ・こだわり旅手帖 1 ・・・ 渋草焼(1)
3 ・こだわり旅手帖 1 ・・・ 渋草焼(2)


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唐津焼に学ぶ
こだわり陶芸紀行6
素朴で、親しみやすい唐津焼の器

昨今では珍しくなった鏡山(きょうざん)窯の割竹式登窯。
還元炎の影響を受けやすい場所では、釉は青みを帯び、酸化では黄色くなります。
●唐津市鏡4958 TEL.0955-77-2131

波静かな唐津湾。この海の向こう側
には、朝鮮半島が横たわっています。
恵日(えにち)窯の正面入り口。
●唐津市鏡字古野TEL.0955-77-0431


 かつての唐津焼は、現在の佐賀県西部から長崎県一帯にかけて焼かれた陶器で、窯跡は広範囲に渡っています。 唐津が大陶産地として急速に発展したのは、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の折、李朝陶工を連れ帰ってからのことです。
 以来、とくに桃山時代には茶陶の優品が多く焼かれていましたが、次第にそれらの様式を受け継ぎながらも、様々な日用雑器が作られるようになり、今につながっています。 素朴なやきものの代表として、また親しみやすい器の筆頭が唐津焼です。
 博多駅から地下鉄に乗り、筑前前原で筑肥線に乗り換えます。 玄界灘を右に見ながら、博多から1時間20分ほどで唐津駅に到着。 ところが駅に降り立っても、産地の面影はあまりありません。 全国的に名を知られた陶産地なのですが、意外にも窯元の数は多くなく、唐津市や周辺地域を合わせても、せいぜい30数軒ほどだとか。 ここは、少数精鋭の伝統的産地なのです。
 なかでも今回は、古唐津の陶片をもとに、独自にブレンドした土を用いて、食器や茶陶を制作しているという恵日窯を、最初に訪ねることにします。
熱心に取材に応じてくれた恵日窯の当主・舛田陶圭氏。
17世紀の古唐津の土を見本にし、砂地が多く、鉄分の少ない荒土を作っています。(恵日窯)


朝鮮唐津の壺や鉢などが並べられた展示室にて。(恵日窯)
 唐津焼とひと口にいっても、朝鮮唐津、絵唐津、三島唐津、斑唐津、彫唐津、黒唐津、それに奥高麗や粉引唐津などあります。 これら多様多彩な伝統技法を使って、陶工たちは数々の名作を世に送り出してきました。 恵日窯では17世紀に作られた唐津産の古器を研究した結果、砂地が多く、鉄分の少ない荒土を素地土に採用しました。
 主に赤土は、絵唐津や粉引に使われますが、粉引では鉄分を多く、反対に絵唐津では鉄分を少なめに調整し、鬼板(ベンガラ)で絵付を施します。 また斑唐津には黄土を使用して成形し、失透性の藁灰釉を掛けています。 すると、素地土の鉄分が藁灰と反応し、乳白色の全体のなかに褐色の斑文が混じり、実に渋い味わいが表現されていました。
 本焼成は四室の登窯で、40〜45時間かけてじっくりとおこなわれ、1220〜1400度(最高温度)もの高温に達するそうです。 そんな灼熱の炎に耐えたものだけが、晴れて窯出しの栄を授かることができるのです。 ですから恵日窯の器はとても丈夫で、電子レンジにかけてもOK、とのことです。
施釉を終えた朝鮮唐津の作品。黒いのが藁灰釉、黄色く見えるのが鉄釉です。
(鏡山窯)


 さて、恵日窯からほど近いもう1軒の窯元に寄ってみることにしましょう。 鏡山窯です。
 工房で職人さんたちがロクロ、絵付、釉掛けなど、黙々と作業している様子を見ていて、窯里にいることを実感。 ロクロ成形を終えたものは、ひとつずつトチ(耐火粘土で作った円板状の台)の上に置かれ、バランスよく乾燥させられていました。 なかには生掛けで施釉されるものもあり、窯焚きは主に単窯を用い、18〜19時間を費やしおこなわれます。 窯中の還元のかかりやすい場所では、ベンガラが赤味を帯び、釉薬は青く焼き上がり、酸化炎では黄色っぽくなるのだそうです。 また勇壮な割竹式登窯による本焼成は、年に2、3回ほどとのことでした。
 鏡山窯を辞す時、日本三大松原のひとつ、虹ノ松原の方角から、サーッと心地よい海風が吹いてきたように感じました。
 そういえば、玄界灘を隔てたそのすぐ向こう側には、唐津焼のルーツとなった朝鮮半島が横たわっていることでしょう。  ■
ロクロ挽きを終えた鉢。小指で四隅に入角を施せば、出来上がり。(鏡山窯)
次々に湯飲みに鉄絵がされていきました。(鏡山窯)

流れるような筆さばきで描かれた絵唐津の皿。(恵日窯)
慣れた手付きで、土灰透明釉が掛けられます。(鏡山窯)





−−昨今、駅や電車の中など公共の場で、マナーの悪さに端を発するトラブルが頻発しています。
 ほんの少しの人としての「作法」さえ心得ていれば、避けられることも多いと感じるのですが・・・。


安藤●そうですね。 確かに現代人は不作法になっています。 ということは、本来の身体のあり方を知らずに、器用になりすぎてしまった、ともいえますよ。
 お茶の作法の原点をいえば、それは人間の身体性からできています。 ですから、我々の身体の動きや成り立ちを、改めて考えてみる時期に来ているかもしれません。

−−そういったことに目覚めさせてくれるのは、やはりお茶の稽古がいいように思えます・・・。

安藤●たとえば、茶席でお茶碗を手に取るとき、脇の下に卵ひとつ分を挟んだくらい開けておきます。 そして、背中をピンと伸ばすと、体と腕が一体となります。 手だけを前に伸ばして茶碗を取ろうとするのではなく、体ごといけるところまでいって、間に合わない分だけ手を動かして取る、ということですね。
 そしてまた手を元の位置に戻して体を起こせば、手と体が一体となって、どこにも無理を及ぼしません。

−−なるほど。 動作がとても自然で、まったく無理がありませんね。

安藤●人は本能的に、自らをくたびれさせるような動作はしませんから。
 このようにお茶の作法は、詰めていきますと、人間の身体の付き方、重心のあり方などと密接な関係があります。 それを知らずにお茶をすると、単に形式的な作法を真似ることにしかなりかねません。
 もっとも今の時代は、お茶に不作法なのではなく、本来の人間としての仕草を忘れてしまったために、あらゆるものに対して不作法になっている、といえるのではないでしょうか。
 つまり「お茶に」ではなく、「自分に」不作法になっていると思うのです。
(構成・編集部)


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