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当代一流の文化人と接して育まれた才能 |
小堀遠州は、江戸時代初頭の大名茶人であり、また総合芸術家としてもよく知られています。 この「遠州」の名を名乗るようになったのは、1608(慶長13)年から。今から数えてちょうど400年前のことでした。 | ||
遠州茶道宗家13世家元 小堀宗実氏
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1956年生まれ。学習院大学卒業後、大徳寺派桂徳禅院にて禅修業。83年に副家元に就任。2001年に家元を継承。東京茶道会理事。 |
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分かりやすい美しさが遠州の特徴 | ||
本展を監修したのは、遠州茶道宗家13世家元の小堀宗実氏。家元によれば、織部以前の、いわば本人にしか理解できない世界観に比し、遠州は独自の美「綺麗さび」を創出し、客観的で、誰が見ても分かりやすいのがその特徴といいます。 |
◎寛永文化を代表する存在 | |||
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小堀遠州は、15歳の頃から武将茶人・古田織部について茶の湯を学び、その秀でた才能を感じとった織部は、自身の後継者として遠州を認めています。 このように遠州の美意識は、若い頃から当代一流の文化人と接することで育まれ、また3代将軍・家光の庇護の元、さらに大きく開花したといわれています。 そして30歳の時、徳川家康の居城である駿府城の作事奉行を命じられ、その功績によって「遠江守」に任ぜられます。 このことから、以降「遠州」と呼ばれるようになりました。 45歳から69歳で亡くなるまでの間は伏見奉行を勤め、後水尾天皇などの皇族や公家、大徳寺の僧・春屋宗園や沢庵、また徳川家光、前田利家など将軍や大名、 さらに池坊2代専好や本阿弥光悦ら文化人など、枚挙に暇なく幅広く交流します。 遠州の優れた美意識は、造園、数寄屋建築、築城にまで及び、まさに華やかな寛永文化を代表する存在だったといえます。 本展ではとくに、遠州が選定した「中興名物」や、指導して作らせた国焼の高取、丹波、志戸呂などの茶陶、「遠州好み」の名品の数々が、縁の人々との交流を物語る手紙や、添え書きなどとともに展示されます。 |
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「熊川茶碗 銘 ・千歳」 (こもがいちゃわん めい・ちとせ) (中興名物) 高9.0 径13.9cm 五島美術館蔵 |
■およそ150点の作品で辿る遠州の美意識 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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