全国旅手帖薩摩伝承館/薩摩焼

薩摩伝承館 [さつまでんしょうかん]

外観 ロビー
ロビー奥にはレストランも併設されています
苗代川系の陶工によって1844年、白薩摩の装飾技法に錦手が加わりました。さらに金彩を主体とした薩摩金襴手へと発展、多くの製品が海外へ輸出され、高い評価を獲得しました。
圧倒されるほど金装飾が加えられた見事な壷



■金襴の間

作品の背景は伝統技術・金箔押しによる金が敷き詰められた壁。薩摩は金の産出量が日本一、背景の金箔の使用量は10cm四方の金箔がなんと10,000枚!






背景に張り巡らせた金箔が詳細に伺えます









15代沈壽官 作
「海外から見た薩摩」をコンセプトしている薩摩伝承館の所蔵品は当時、輸出品として製作された作品が主体となっています。海外用は装飾品として製作され、1対になっているものがほとんど。現在、里帰り薩摩130点を所蔵しています。




■十字の間

大型化した金襴手薩摩焼の一方で、小型ながらも多様な形と繊細な絵付が施された作品も数多く作られました。
「十字の間」では豊かな造形表現と繊細緻密な絵付の逸品を目前でじっくりと鑑賞することができます。




芝山象嵌(しばやまぞうがん)とは、下総(千葉県)芝山の大野木専蔵が江戸後期に考案した技法で、漆面に象牙や貝、サンゴなどを象嵌して文様を描いたものです。
明治時代、万国博覧会などで人気を博した芝山象嵌は欧米に向けて盛んに輸出されるようになります。
金襴手同様、この箪笥にもエキゾチックな絵模様が描かれ西欧人の異国趣味を反映した作品となっています。
花鳥人物芝山象嵌箪笥 19世紀


<右>
<左>

「人物図獅子乗大飾壷(1対)」
薩摩 19世紀後半
高さ162cm、薩摩金襴手の中でも最も大型と考えられる飾り壷です。
このような大型で華やかな作品は、西欧では大建築を飾る室内装飾品として迎えられました。左右対称のデザインが好まれたので1対で作られ、金彩を多用し隙間なく文様が描かれています。描かれているのは、片面は日本の武人、もう片面は唐子となっています。
■薩摩の間 (2F)

「薩摩の間」では幕末から明治にかけて日本を牽引した薩摩の姿、そして西欧との文化交流を西郷隆盛ら明治の偉人に焦点をあて紹介しています。
西郷隆盛像
薩摩勲章(復元)
薩摩勲章(写真右下)はナポレオン創設のレジオン・ドヌール勲章を参考に作られたといわれています。しかし、完成前に江戸幕府は崩壊、当時の図面をもとに復元されました。また、西郷さんの羽織も展示されており、試着も可能(写真左下)。実際に羽織って、西郷さんがどれだけ大柄な人であったか実感することもできます。
「パリ万国博覧会1867」―ジャポニスムブームの火付け役
1867年に開催された「パリ万国博覧会」は日本が初めて参加した国際博覧会です。江戸藩、薩摩藩、佐賀藩が参加し、特に薩摩藩は独自に「日本薩摩琉球国太守政府」の名で特別展示を行い薩摩焼をはじめとする産物を約400箱も出品しました。
西欧の人々は、はるか遠い日本からやってきた美術・工芸品に大いに惹きつけられました。いち早く日本の美術を取り入れたフランスの画家たちから始まり、一般の人々まで、パリ万博によってジャポニスムのブームは一気に過熱していったといえるでしょう。
また、日本独特の風習や文化へも注目が集まりました。万博会場でひときわ人気を集めたのが柳町芸者が日本茶のおもてなしをするというサービスだったといいますから、西欧の人々が日本文化へ興味津津であったことがよく分かります。
西欧では、室内装飾として迫力ある大型の薩摩焼が人気を博す一方で、バックル、ボタンといった小物もまた人々を魅了しました。本来はボタンとして輸出されたものを、金具を装着して指輪に仕立て直して身につけていたというエピソードは西欧の人々が薩摩金襴手に宝石と同等の価値を見出していた証といえるでしょう。
京薩摩
婦人図蝶形バックル(手前)
薔薇文ボタン(奥)


また、日本の染織に魅了された西欧の人々は小袖をコートやドレスに仕立て直し、ファッションに取り入れました。その後、着物のもつゆとりの考えはコルセットから女性の体を解放しようという西欧のファッションの概念を変えるまでとなりました。
小袖のドレス(復元)

「薩摩切子」
薩摩藩主・島津斉彬が集成館事業の一環として作らせた薩摩切子。現存するものは大変少なく、貴重となっている江戸時代の名品を堪能することができます。



■中国陶磁の間

民窯・官窯・皇帝の間では中国陶磁を堪能できます。
中国八千年の歴史に培われた作品、皇帝が宮廷用に特別に焼かせた中国陶磁など名品が並びます。








素三彩地加彩関羽像
「唐英監製」銘 景徳鎮窯 清 19世紀
関羽は『三国志』で有名な蜀の武将です。義勇にとんだ武者振りが中国の人々の心を惹きつけ、各地に関帝廟が建てられ守護神として祀られています。
この像は磁器質の胎土を使って、19世紀に作られたものです。

土器は紀元前後の漢時代までやきものの主流をなしました。この壷は赤焼きの紅陶に彩色したもので、甘粛省(かんしゅくしょう)を中心とした馬家窯文化を代表する半山類型の土器です。ひょうたん型の文様は比較的珍しく、非常に優れた一品です。
加彩双耳壷
新石器時代 馬家窯文化期 半山類型
紀元前3000〜2500年


緑釉大壷
後漢 1〜2世紀



黒釉掻落牡丹唐草文瓶
磁州窯 明 15世紀
緑釉楼閣
後漢 2世紀

夭目天目
建窯 南宋〜元 13〜14世紀

三彩印花
乾瓦窯 遼 11〜12世紀

黄地染付梔子文皿
「大明成化年製」銘 景徳鎮官窯 明 成化

館奥の間では喫茶コーナーとショップが併設されていて、15代沈壽官の作品や、薩摩切子などを買うことができます。
館内のご案内を頂いた学芸員の深港恭子さん(写真左)。
一般観覧者も団体の場合はご希望により何名かの担当者の方が解説を行ってくださるので分かりやすく楽しく鑑賞することができます。
DATA
住所 鹿児島県指宿市東方12131-4(知林の里)
TEL 0993-23-0211
OPEN 9:00〜17:00(入館は16:30まで) ※季節により変更あり
休業日 無休
料金 大人1,500円、大学生1,200円、高校生600円、中小生300円
アクセス ・JR鹿児島中央駅より指宿枕崎線「指宿駅」下車、車で7分
・鹿児島空港よりリムジンバスで1時間35分
URL http://www.satsuma-denshokan.com/

※掲載情報は変更される場合がありますのでご利用の際は事前にご確認ください


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