須恵器やはにわを焼いたのが砥部のやきもの作りの始まりといわれ、その時期は6〜7世紀まで遡ります。砥部の地は山に囲まれた傾斜地にあったため、登窯に最適で、さらに周囲の山から燃料となる赤松が大量に採れたことからやきもの作りに適した土地でした。そのため古くからやきものが盛んに作られ、江戸時代半ばまでは現在のような磁器ではなく陶器が焼かれていました。
現在の砥部焼に転じたのは今から230年程前、砥部の特産品である伊予砥(砥石)の屑を利用して磁器の開発に取り組んだのが始まりです。砥部で初めて磁器の焼成に成功したのが杉野丈助(すぎのじょうすけ)でした。失敗を繰り返しながらも白磁を完成させ、その後、新しい原料の発見や技術的向上を続け、砥部焼は発展していきました。
しかし、昭和に入り世界的な不況と第二次世界大戦の影響を受け砥部焼は一時衰退します。そのような中で、砥部焼再興を願い活動を開始したのは戦火を逃れた陶工達でした。絵の具に泥呉須 筆はつけたてという現在の砥部焼スタイルを確立したのもこの時です。さらに民芸運動が砥部焼再興の追い風となり、砥部焼は現在まで続くやきもの産地として復興を遂げました。
今日では伝統的スタイルに加え、新しい砥部焼を目指す若い陶工達による現代的意匠の作品も増え、人気の陶産地として多くのやきものファンを魅了し続けています。