高取焼 (たかとりやき) 

 高取焼は、福岡県の直方市、宮田町、岡垣町、山田市、飯塚市、福岡市などで焼かれてきたやきものです。 その歴史は古く、桃山時代に鷹取山西麓に最初の窯が築かれたといわれます。
 それにしても、ずいぶんと広範な地域に渡っていたものです。 現在の、高取焼を名乗る窯元が、小石原(朝倉郡)にある高取静山窯や高取八仙窯、福岡市にある亀井味楽窯など決して多くない現状を見ると、なおさら不思議と思えます。 今回は、この疑問にズーム・アップ!
 これは、長い歴史の中で度重なった転窯・増窯によるものでした。 たとえば、高取焼の初代は朝鮮出兵の際に日本に連れてこられた名工でしたが、この八山(和名・高取八蔵)だけを見ても、永満寺宅間窯、内ヶ磯窯、山田窯、白旗山窯など数度に渡り窯を移しています。 なかには、朝鮮への帰国を願い出て藩主の逆鱗に触れ、蟄居となったために開いた小規模な山田窯のエピソードも・・・。 日本のやきもの史に潜む悲哀を感じさせます。
 さて、これらのなかで注目すべきは白旗山窯です。 八蔵は開窯にあたり、小堀遠州の指導を受けています。 現代の茶陶・高取焼に特徴的な、瀟洒で軽妙な作風は、はたしてこの窯以来の、遠州による「綺麗寂び」の美感に源流があったのですね。

釉調は、酸化炎焼成で光沢を出すのが特徴です。
写真協力:福岡県東京事務所



白・飴・黒・黄・高宮・フラシ・緑青の7釉が伝統的高取釉。  
取材:2004年
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