瀬戸焼

 瀬戸(愛知)といえば、「瀬戸焼」よりも「セトモノ」の方が私たちには耳馴れた言葉です。なにしろ国立国語学研究所の調査によれば、「セトモノ」は、東日本を中心に全国の約六割の地域でやきもの(陶磁器製品)を指す代名詞として使われているのだそうです。 ちなみに、残りの三割は「カラツモノ」、一割が他の呼称を使っています。
 つまり、それほどに瀬戸産のやきものが全国を席巻したということ。 日本初の施釉陶を焼いた猿投(さなげ)窯にルーツを持つ瀬戸焼は六古窯の中でも抜きんでた技術力を持ち、古くからやきもの先進地だったのです。
 今回は、そんな歴史の証人として残る伝統的な窯をズーム・アップ。 市の文化財に指定されている「本業(ほんぎょう)窯」は、すり鉢なら一万個といわれる江戸期の巨大登窯です。 ところで、この「本業」という言葉、江戸享和年間に始まった磁器生産を新製(焼)というのに対し、元々の陶器の仕事を指すのだそうです。 今では染付磁器のイメージが圧倒的な瀬戸焼ですが、本業=陶器とは何だか意外で、興を惹きます。
 一千年の歴史を持つ瀬戸は、ポピュラーでいて未知数。 そんな、不思議な魅力ある産地です。

写真協力:瀬戸市産業観光課
取材:2001年
肥前や京都に遅れた染付生産も、すっかり瀬戸の顔。

本業窯では民芸的な雑器が焼かれました。
  


瀬戸(せと)
(愛知県瀬戸市)
 
往時を思いながら「窯垣の小径」を散策
「窯垣の小径」は散策気分で歩くのがベスト。
 やきものの代名詞でもある「せともの」。 この言葉を生んだ愛知県瀬戸市の窯業は、かつて飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。 現在は工業化・合理化が進み、外からは容易にそのダイナミズムをのぞけません。 そんな瀬戸にあって、江戸から戦前の、手作業による大規模なやきもの作りを、面影のなかに感じ取れる一画があります。 「窯垣の小径」が縦横にめぐる洞町地区です。
 窯垣とは不用になった窯道具を使って築いた塀や壁のこと。 登窯や石炭窯を焼く時に、製品を保護したり効率的に窯詰めするために用いたエンゴロ、ツク、エブタなどを組み合わせて作られた幾何学模様が、幅一間ほどの昔ながらの小径のあちこちに見られます。 その自然な焼き色の美しさや、時おり目に留まる窯元の屋号の刻印など、懐かしい風景に出会えます。
各家の窯垣はそれぞれ特徴的で見飽きません。

小径のほぼ中央にある「窯垣の小径資料館」にもぜひ立ち寄ってみて下さい。 この建物はもともと「本業焼」の窯元の屋敷。 当時町には毎日のように窯煙がたなびき、細い路地を職人が威勢良く往来していたとか。 陶郷の賑わいが展示品やビデオ、写真からリアルに伝わってきます。
 瀬戸には、他に「愛知県陶磁資料館」「瀬戸蔵ミュージアム」「瀬戸市新世紀工芸館」などの見どころも! 大産地の素顔を発見する旅も、いいものです。
取材:2008年
閉じる