やきもの散歩の傍らに、観光も楽しめるのが魅力。
(高台寺にて)
あちこちの陶磁器店や窯元で買い物をしながらのそぞろ歩き。
(茶わん坂にて)



京焼の故郷・五条坂へ 

 五条通りを市街地から東山へと向かって進むと、やがて道は鴨川と交わります。
 そこが牛若丸と弁慶が出会ったといわれる伝説の場所、五条大橋です。 橋のたもとに佇んで、ゆったりと流れる川面を眺めていたら、なんともいえない旅情がわいてきました…。
 かつて、五条大橋から清水寺までの2キロほどの間に、多くの窯元が軒を連ねて店を出し、登窯からは窯煙が勢いよく上がっていたといいます。 なかでも、五条通りが東大路通りと交差する辺りの五条坂は、江戸時代の中頃には、すでに陶磁器の産地として栄えていました。

 そこでまず、現在でも京都のやきものの生産拠点のひとつに数えられている五条坂界隈を、訪ねてみることにしました。
 あちこちに点在する陶器店や、窯元の出窓に飾られた食器や茶道具などから、容易にここが陶磁器の街だと知れます。 しかしなんといっても、周辺を歩いて廻りながら、たとえば清水(六兵衞)、川瀬(満之)、あるいは滝口(和男)などという、著名な陶芸家たちの家々の個性的な表札を見つけると、京焼の故郷に来ているのがジ〜ンと実感できます。

 五条通りを南側へと渡り、六兵衞窯の横の路地を奥に入り、進んでいきます。 するとすぐ左手に、重厚な構えの民家が見えてきました。これが「河井寛次郎記念館」です。
 1937(昭和12)年に建てられた寛次郎の自宅・工房が、そのまま記念館となって公開されています。 玄関の重い引き戸を開けて、足を一歩踏み入れた途端、独特の雰囲気に体全体が包まれたように感じました。
 どっしりと堅牢な柱や梁が組まれた、やや薄暗い室内。黒光りする板の間や家具、建具…。 これらすべてが、寛次郎自身のデザインだといいます。 そして、そこかしこ置かれた自作の陶芸作品や木彫など。
 ここは正に、創作家・河井寛次郎の強烈な個性だけが感じられる異空間そのものでした。


 

 
左 河井家はいつも千客万来で賑やかでした。建物のデザイン設計、電球の笠、テーブルや脇息に竹の椅子など、自らがデザイン、考案したものばかり。

上 陶芸作品はもちろん、寛次郎作。
(「河井寛次郎記念館」にて)


左●こんな自然な風景を見ていたら、そこから寛次郎がひょこり顔を見せそうな気がしました。
上●5代清水六兵衞から譲り受けた寛次郎の登窯。高温で還元焼成のできる、下から2番目の房を好んで使っていました。
下●記念館の中庭。手前に見える丸い石は、石灯籠の代わりに置かれ、時々、自らで置き場所を変えていたそうです。
(いずれも「河井寛次郎記念館」にて)



河井寛次郎記念館
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全館で感じる寛次郎ワールド
 陶芸家・河井寛次郎(1890−1966)は、島根県に生まれました。 東京高等工業学校(現・東京工大)に学び、卒業後は、京都市立陶磁器試験場に勤務します。 1920(大正9)年に独立し、京都・五条坂に鐘渓窯を築きました。 その後、濱田庄司を介して知り合った柳宗悦らとともに、民藝運動に参加、傾倒していきます。 それにより「民芸派の陶芸家」と呼ばれることもしばしばです。

 しかし、寛次郎の遺した陶芸作品の特徴は、類型的に「民芸様式」と分類できるものでなく、近代作家として自己の表現を追求した結果の、奔放で骨太な、個性豊かな陶芸作品といえます。

 寛次郎が創作に没頭し、友と語らった場そのものが体感できる同記念館は、出色の存在です。


住所=京都市東山区五条坂鐘鋳町 569
電話=075−561−3585




寛次郎の代表作のひとつ
「三色打薬扁壺」
(河井寛次郎記念館蔵)

 



■和楽
京都市東山区祇園下河原月見町 24
TEL. 075-561-2618
暖簾に「楽焼」の文字があり、ここが楽専門の窯元と知れます。 炭を燃料にして焼く楽茶碗専用の窯もまだ現役。 細工場では赤楽の茶碗や、懐石の器などが制作中でした。 変わり種としては、鰻の白焼を供する型ものの器が作られていました。 もちろん楽焼で。


■青窯会会館
京都市東山区泉涌寺東林町 20
TEL. 075-531-5678
東山三六峰の南西に当たる泉涌寺界隈は、知る人ぞ知る陶工の町。 明治時代になってから築窯がはじまり、現在でも60軒ほどの窯元があります。 ここ青窯会会館では、同地区在住の窯元や若手作家らの作品が展示販売されていて、思わぬ掘り出し物が見つかる予感あり。
 


俊山窯
京都市東山区泉涌寺東林町 20
TEL. 075-561-3173
大正時代に泉涌寺地区に開窯し、現在は3代目の森俊次氏が当主となっています。 この窯の特徴は、仁清や乾山らによって完成された京焼の雅を継承しながらも、現代感覚にあふれた器を追求していること。 この窯の土ものの色絵の器は、定評があります。
 

取材:2004年


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