唐津焼に学ぶ
こだわり陶芸紀行6
素朴で、親しみやすい唐津焼の器

昨今では珍しくなった鏡山(きょうざん)窯の割竹式登窯。
還元炎の影響を受けやすい場所では、釉は青みを帯び、
酸化では黄色くなります。
●唐津市鏡4958 TEL.0955-77-2131

波静かな唐津湾。
この海の向こう側には、
朝鮮半島が横たわっています。
恵日(えにち)窯の正面入り口。
●唐津市鏡字古野TEL.0955-77-0431


 かつての唐津焼は、現在の佐賀県西部から長崎県一帯にかけて焼かれた陶器で、窯跡は広範囲に渡っています。 唐津が大陶産地として急速に発展したのは、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の折、李朝陶工を連れ帰ってからのことです。
 以来、とくに桃山時代には茶陶の優品が多く焼かれていましたが、次第にそれらの様式を受け継ぎながらも、様々な日用雑器が作られるようになり、今につながっています。 素朴なやきものの代表として、また親しみやすい器の筆頭が唐津焼です。
 博多駅から地下鉄に乗り、筑前前原で筑肥線に乗り換えます。 玄界灘を右に見ながら、博多から1時間20分ほどで唐津駅に到着。 ところが駅に降り立っても、産地の面影はあまりありません。 全国的に名を知られた陶産地なのですが、意外にも窯元の数は多くなく、唐津市や周辺地域を合わせても、せいぜい30数軒ほどだとか。 ここは、少数精鋭の伝統的産地なのです。
 なかでも今回は、古唐津の陶片をもとに、独自にブレンドした土を用いて、食器や茶陶を制作しているという恵日窯を、最初に訪ねることにします。

熱心に取材に応じてくれた
恵日窯の当主・舛田陶圭氏。

17世紀の古唐津の土を
見本にし、砂地が多く、
鉄分の少ない荒土を作っ
ています。(恵日窯)



朝鮮唐津の壺や鉢などが並べられた展示室にて。(恵日窯)
 唐津焼とひと口にいっても、朝鮮唐津、絵唐津、三島唐津、斑唐津、彫唐津、黒唐津、 それに奥高麗や粉引唐津などあります。 これら多様多彩な伝統技法を使って、陶工たちは数々の名作を世に送り出してきました。 恵日窯では17世紀に作られた唐津産の古器を研究した結果、砂地が多く、鉄分の少ない荒土を素地土に採用しました。
 主に赤土は、絵唐津や粉引に使われますが、粉引では鉄分を多く、反対に絵唐津では鉄分を少なめに調整し、鬼板(ベンガラ)で絵付を施します。 また斑唐津には黄土を使用して成形し、失透性の藁灰釉を掛けています。 すると、素地土の鉄分が藁灰と反応し、乳白色の全体のなかに褐色の斑文が混じり、実に渋い味わいが表現されていました。
 本焼成は四室の登窯で、40〜45時間かけてじっくりとおこなわれ、1220〜1400度(最高温度)もの高温に達するそうです。 そんな灼熱の炎に耐えたものだけが、晴れて窯出しの栄を授かることができるのです。 ですから恵日窯の器はとても丈夫で、電子レンジにかけてもOK、とのことです。

施釉を終えた朝鮮唐津の作品。黒いのが藁灰釉、黄色く見えるのが鉄釉です。(鏡山窯)


 さて、恵日窯からほど近いもう1軒の窯元に寄ってみることにしましょう。 鏡山窯です。
 工房で職人さんたちがロクロ、絵付、釉掛けなど、黙々と作業している様子を見ていて、窯里にいることを実感。 ロクロ成形を終えたものは、ひとつずつトチ(耐火粘土で作った円板状の台)の上に置かれ、バランスよく乾燥させられていました。 なかには生掛けで施釉されるものもあり、窯焚きは主に単窯を用い、18〜19時間を費やしおこなわれます。 窯中の還元のかかりやすい場所では、ベンガラが赤味を帯び、釉薬は青く焼き上がり、酸化炎では黄色っぽくなるのだそうです。 また勇壮な割竹式登窯による本焼成は、年に2、3回ほどとのことでした。
 鏡山窯を辞す時、日本三大松原のひとつ、虹ノ松原の方角から、サーッと心地よい海風が吹いてきたように感じました。
 そういえば、玄界灘を隔てたそのすぐ向こう側には、唐津焼のルーツとなった朝鮮半島が横たわっていることでしょう。 ■

ロクロ挽きを終えた鉢。小指で四隅に
入角を施せば、出来上がり。(鏡山窯)

次々に湯飲みに鉄絵がされていきました。(鏡山窯)


流れるような筆さばきで描かれた絵唐津の皿。(恵日窯)

慣れた手付きで、土灰透明釉が掛けられます。(鏡山窯)

取材:2001年


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