伊万里焼の巻 (いまり) |
秘窯の里・大川内山の案内図は染付の陶板。 |
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伊万里といえば、むしろ「古伊万里」という呼び名の方が有名かも知れません。 これは、古い伊万里焼の熱心なコレクターが多いからでしょう。 17世紀後半にはヨーロッパに輸出され、王侯貴族にもてはやされたという輝かしい歴史もあります。 ちなみに、当時、ドイツのアウグスト王は熱狂的なコレクターで、「イマリ」に触発され自国での磁器開発を命じます。 この窯こそ、今、私たちに人気のマイセンなのです。 ところで現代の伊万里焼ってどんなやきもの? その昔、有田で焼かれたやきものは伊万里港から出荷されたために、消費地で「伊万里焼」と呼ばれました。 その後鉄道が開通し、有田焼と呼ばれるようになり、現在では有田産のものは有田焼、伊万里で焼かれたものは伊万里焼として区別し、流通しています。 かつて有田を領有していた鍋島藩は、将軍や各大名に献上するために独自の窯を興します。 1675年には有田にあったその窯を、機密保持のため秘境・伊万里市大川内山に移築するのです。 その甲斐あって、鍋島藩窯の磁器製品は、染付の青、赤、緑、黄など限られた絵具を用いて、徹底した技巧主義による、素晴らしい様式美を保ち続けました。 |
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取材:2005年 |
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「色絵寿字吉祥文鉢」(部分)径22.1p 伊万里 江戸時代(17C末〜18C初) 戸栗美術館蔵 |
「色絵寿字宝尽文八角皿」径20.8p 鍋島 江戸時代(17C末〜18C初) 戸栗美術館蔵 |
「染付桜花文皿」径20.4p 鍋島 江戸時代(17C末〜18C初) 戸栗美術館蔵 |
伊万里焼は現在の佐賀県・有田町で焼かれ、製品が伊万里港から出荷されたために、開窯初期からその名を冠して呼ばれた華麗な磁器です。 はじめは中国の染付を手本とし、やがては独自に赤絵の技術を完成させ、今日まで続いて焼かれています。 また同じ有田産の磁器でも、鍋島藩窯により有職風の文様をまとった、完成度の高いやきものが量産されました。 徹底した技巧主義によって作られたこの器を、鍋島といいます。 そしてこれら肥前産の磁器は、ともに元禄・享保年間(1688〜1736)に焼かれ、日本を代表する磁器となりました。 |
「色絵荒磯文鉢」径24.7p 伊万里 江戸時代(17C末〜18C初) 戸栗美術館蔵 |
取材:2001年 |