全国旅手帖高取焼(歴史・特徴)

高取焼写真 高取焼タイトル

 高取焼は筑前福岡藩主黒田長政が朝鮮陶工・八山(和名=高取八蔵)に鷹取山山麓に築窯させたのが始まりとされています。その後、窯場は永満寺宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯、白旗山窯など移窯を繰り返しました。そのため高取焼は現在の直方市、宮田町、岡垣町、山田市、飯塚市、福岡市と広範な地域に渡って焼かれることとなります。
 黒田藩の御用窯として栄えた高取焼は茶人・小堀遠州の指導を受け、遠州好み七窯(赤膚・上野・高取・古曽部・志戸呂・膳所・朝日)の一つに選ばれ、茶陶・高取焼として名を高めました。
 茶褐色釉にまだらに乳白釉を掛けるのが特徴的です。いわゆる遠州高取は赤白2種類の土に7種類(白・飴・黒・黄・高宮・フラシ・緑青)の釉を施した独特な釉調となっています。

 現在は小石原から福岡市西新町に移った亀井味楽窯、小石原にある高取焼宗家窯、高取八仙窯を中心に高取焼の伝統が引き継がれています。
7釉を施した作品
(写真協力:福岡県東京事務所)

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