六古窯(常滑・信楽・備前・丹波・越前・瀬戸)の一つに数えられる越前焼は平安末期から須恵器の流れを汲んで発達しました。この頃の越前焼は釉薬を使っていませんが、燃料の木の灰が熔けて緑色の美しい模様が器面を飾りました。
鎌倉後期から室町期にかけて最盛期を迎え、壺、甕のほかにも水滴や杯などが大量に作られ、福井県内だけでなく北海道南部から島根県までの日本海沿岸各地へ運ばれました。
明治になると、越前町小曽原で山内伊右衛門(1858〜1941)が京焼の名工や信楽焼の職人を招いて色絵陶器の技術を学び、華麗で洗練された色彩の器が焼かれましたが十年ほどで廃窯となりました。その後も戦争・戦後の混乱の中で越前焼は衰退していきました。現在は「越前陶芸村」ができ全国から陶芸家が集まり、食器や茶器、花器作りを行っています。
あたたかみのある土味、薪の灰でできた自然釉が越前焼の魅力です。また、紐状の土を丹念に積み上げて成形する「紐作り」と呼ばれる伝統的な技法も継承されています。
(写真提供:福井県陶芸館)